手助けは良いか
   中2 あこうあ(akoua)  2025年7月1日

 私は勉強をする時、母親に手伝ってもらうことが多い。例えば歴史のテスト勉強では、母親に教科書の内容の問題を出してもらうのだが、教科書の隅々まで問題を出してもらえるので、時代の流れと出来事とのつながりを見つけることができて理解力を高めることができた。また、その知識を友達などに教えることで自分の知識をアウトプットしつつ、友達も知識を深めることができる。

 しかし、手助けが邪魔になってしまうことがある。私自身、何かの出来事がどのように起こるのかを疑問に思うと、それが解決するまで他のことをしないマイペースなタイプなので、数学の問題を解いているときに、あと少しで問題を解けそうな時に答えを教えられると、答えがわかって「そうなんだ」とも思うが「なんでその答えになるんだろう」という感情が強く、それをずっと考えて結局その解きかけている問題を自分でときその答えに照らし合わせることを忘れて、答えを知ったつもりになってしまうことがある。また、いくら母親でも、私は負けず嫌いなのでわからない問題の答えを教えられるとイライラしてしまう。それで母の怒りを買って喧嘩になったこともある。

 しかし、手助けには良いところもある。人が困っているときに手助けをしてあげるのは人として当然の行為である。実際、日本人が「困っている人を見かけた時に助けるか」というアンケートに対して、「助ける」と回答した人は約63%であった。私も小学校5年生ぐらいの時の学校の帰り道、自分の家の近くのスーパーに行こうと思っていたが道に迷ってしまった人に出会って、その人に道を教えてあげたらとても感謝された。日本では落とし物をしてもほぼ確実に交番に行けば誰かが届けてくれている。これは他の国ではなかなかなく、他の国では落とし物をした方が悪いという感覚で盗まれてしまうことが多いのだとか。

 確かに手助けには良い面も悪い面もある。しかし、一番大切なことは、「大切なのは健康らしい外見ではなく、健康自身である。」という言葉もあるように手助けするにしてもしないにしても見返りを求めない優しさと人を思いやる気持ちがあるかどうかである。そのために人々は自分がこの手助けをされたらどう感じるかを考えて、自分と照らし合わせて人と接することが大切だ。