助け合いながらいきてゆく
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人間は、常に他の人に助けられながら生きている。ご飯を食べようが、電気をつけようが、誰かがそのご飯の材料を育てていたり、発電機を作ったり、開発したりしている。何気ない日常の中にも、数え切れないほど多くの人の手助けがある。たとえば、コンビニで買うお弁当一つにしても、農家の人が米や野菜を育て、工場で加工され、運送会社が運び、店員が棚に並べている。自分が直接関わっていない人たちの助けによって、初めてお弁当を食べることができる。また、学校で使う教科書や文房具も、たくさんの人の努力があって成り立っている。僕たちは、そういう見えない人の努力の上に日々の生活を築いている。そして人類は、このような近代の発明や、昔の発明の上に今生きている。僕は、お互い助け合いながら生きたい。
まず、相手に迷惑をかけないように細心の注意を払うことが大の前提だ。相手の迷惑になると、助け合いの逆のことをさせてしまう。たとえ悪気がなかったとしても、自分の行動が誰かの足を引っ張ってしまえば、それは助け合いとは言えない。僕は、学校で、宿題を忘れてしまった人がいたことが何度もある。その時にクラスの時間を使い先生が説教してその子に怒ったため、クラス全体の勉強が遅くなり、授業が進まなかったあことを覚えている。それに加え、クラスの雰囲気も悪くなり、生徒たちの集中力も下がってしまった。先生に怒られている時、本人は自分一人の問題だと思っているかもしれないが、実際には周りに大きな影響を与えている。だからこそ、自分の行動が他人にどう影響するかを常に意識しなければならないと思う。小さいミスや怠慢が、周りの人たちの努力を無駄にすることもある。助け合う以前に、他人の邪魔をしないということは、社会の中でとても大切なことだと思う。
次は、相手に、何かできることがないかを常に気を遣いながら生活することが大事だ。誰かが困っている時に、声をかけたり手を貸したりするのは、立派な助け合いの一つだと思う。僕は、昔近所のお婆さんがとても重そうな荷物を持っていた。そこで、手伝い、運んであげた時に喜ばれたのを覚えている。ただそれだけのことだったが、お婆さんが「ありがとう」と言って笑顔を見せてくれた時、手伝ってあげてよかったと思った。自分が誰かの役に立てたことが嬉しくて、その日一日がとても前向きに過ごせたのを覚えている。それ以来、駅でベビーカーを押している人や、重そうな荷物を持っている人を見かけ、手伝えないと、少し後ろめたさを感じるようになった。ちょっとした手助けでも、それがその人の一日の気持ちを変えることがある。そう思うと、助け合いは人の心を豊かにする行動なのだと感じる。
確かに手助けは大変だが、助け合うことにより良い人間関係を築くことができる。他人に迷惑をかけないよう配慮する姿勢と、自発的に相手を思いやる行動が、助け合いの基本である。こういうことは単なる親切心でなく、社会的な信頼の基盤を作る要素である。社会学者も、人間関係の質は個人の幸福感や集団の協調性に大きく影響すると指摘している。つまり、助け合いの積み重ねは、人との間に安心感や連帯感を作り、それが良い人間関係や、良い社会へとつながっていくのである。そして、誰もが、助ける側と他アスケラっれる側両方に立つ可能性がある。だからこそ、日常的に互いを支え合う意識が不可欠だ。僕は、お互いに常に助け合い人間関係を構築しながら生きたい。