テストの良さ、悪さ
   中2 あえさし(aesasi)  2025年7月1日

 数学のテストが返された日、私は自信満々だった。数学は得意教科で、今回も高得点だと思っていた。だが、結果は予想外に低く、答案を見た瞬間、胸がつぶれる思いだった。何度も見直したはずの問題でミスをしていた自分が悔しく、今まで抱いていた数学への自信や情熱にひびが入った気がした。好きだったはずの数学が、急に遠く感じられた。

 私は、テストを受けることはとても良いことだと思う。実際に、私は全国統一高校生テストを中学生のうちに受けることになった。しかし、母は「まだ高校数学の内容を全部習っていないのに意味があるのか」と疑問を持っていた。一方で、塾の先生は「やることに意味がある」と背中を押してくれた。確かに、まだ知らない分野もあるかもしれないが、どのような形式で出題されるのか、どのくらい体力や集中力が必要なのかを知ることも、貴重な経験になる。そして何よりも、自分が全国の中でどのくらいの位置にいるのかを知ることは、今後の学習において大きなヒントになる。できないからといって最初からあきらめてしまうのではなく、あえて挑戦することが自分を成長させる第一歩なのだ。できる・できないにとらわれずに、まずは行動する。その勇気と経験が、将来の力になる。だから私は、テストを受けることには大きな意味があると思う。

その一方でテストは邪魔になるといい意見もある。「テストはいらない」と主張する人たちは、テストが本当の学びを妨げると考える。たとえば、フィンランドでは全国一斉の学力テストはほとんどなく、評価は日々の授業での観察や課題によって行われている。教師は一人ひとりの生徒の理解度や成長に合わせた指導を重視し、子どもたちは点数のプレッシャーを感じずにのびのびと学べる。実際、フィンランドの教育水準は世界でも高く評価されており、テストがなくても深い学びが可能であることを証明している。また、アインシュタインは「試験に合格するための勉強は、創造性を殺す」と語ったとされる。彼は点数や順位に縛られず、自分の興味から学びを深めた。もし彼がテスト漬けの環境にいたら、その発想力は育たなかったかもしれない。テスト中心の教育では、生徒は「間違えてはいけない」という恐れから挑戦を避け、受け身の学びに陥りやすい。「正解を出す力」だけでなく、「問いを持ち続ける力」こそが、これからの社会で求められる力ではないか。テストがそれを妨げるのであれば、なくしてもよいという意見にも、一定の説得力がある。

 確かにテストが良いという意見も悪いという意見もある。しかし一番大切なことは、ジョン・C・マクスウェルが「進むのが遅くても構わない、大事なのは止まらないことだ」と言ったように前回の自分よりも成長しているということだけだ。