日本米
   小6 よしたか(yositaka)  2025年7月2日

 欧米で大ヒットしたホットケーキミックスは、電気釜で作れるように改良し日本市場に進出したが完全な失敗に終わった。理由はライス・カルチャー(お米の文化)といわれる日本文化の中で、ごはんをたくのと同じ器でケーキを作ると、バニラやチョコレートに汚染されてしまうのではないか―という懸念とわかり、問題がそこまで民族的な伝統に根ざしている以上、手の打ちようがないと日本市場から引き上げる結果となった。

僕は米が好きだ。たぶん、日本人の多くがそうだろう。だが、米が単に「おいしい」だけでなく、先人たちの知恵や工夫、歴史によって支えられていることを、もっと意識する必要があると思う。

そもそも、今の市販で売られているものは大体白米だが、昔は精米しないといけない白米はかなりの高級品で、江戸時代になってからようやく町民たちが食べれるようになってきた。そこからどんどん食べ方は増えていく。

なぜ、おにぎりの具は梅干しが代表的か知っているだろうか?

コンビニ等で豊富に売られているおにぎりの具材、例えば、タラコは江戸時代には

手に入りにくかった。昆布は高級品で庶民は買えなかった。

ツナマヨはマヨネーズがもちろん無い。

そんな具材の中から、手に入りやすく、安価で、ご飯と合う物。それが梅干しだったのだ。また、梅干しに含まれるクエン酸が、まわりのご飯の腐敗防止に役立つことを、

経験上知っていたのかもしれない。そして、昔から「日の丸弁当」というのは世に出され続けており、やはり梅干しは日本を表すのにぴったりだったのではないかと思う。

日本での米の歴史は縄文時代の終わりに始まり、弥生時代に水稲栽培が定着した。やがて米は年貢や通貨として使われ、江戸時代には「石高」で領地の価値が計られるようになった。武士も大名も、米を中心に社会を動かしていたのだ。食としての米も変化してきた。今は当たり前のように白米を食べているが、かつては玄米が主流だった。白米は精米に手間がかかり、高級品だった。都市の町民が白米を口にできるようになったのは江戸中期以降だ。

祖母の実家の前には田んぼがあった。春に田植えをし、夏に青々と育ち、秋には黄金に色づき、収穫後の田んぼで泥まみれになって遊んだ。祖母はその一年の流れをずっと見てきた。一株の稲からとれる米の量は意外なほど少なく、だからこそ、一粒の米の重みがよくわかったのだろう。

おにぎりをにぎるときに手に塩をつけるのもまた、味つけと防腐のための知恵だ。少ない塩でしっかり味を感じさせることができる。こうした工夫の一つ一つが、米を守り、味わいを深めてきた。

僕たちが日々口にしている米は、単なる主食ではない。祖母の田んぼで見た稲の成長、そして母の話にあった文化に根ざした拒否感に触れるたびに、米は日本人にとって特別な存在なのだと感じる。

米とは、人間にとって「食」であると同時に、「歴史」であり、「文化」であり、「生き方」そのものなのだ。