制度の改革
高1 あおそふ(aosohu)
2025年7月2日
最近のいじめの例では、先輩後輩関係の中ではいじめが発生していないという点が特徴的である。実際に子どもの付き合いの範囲が同一の学年に集中してきている。子どもの大半が一人っ子であることが理由であろう。先輩後輩関係のいじめは、先輩が後輩にいじめることがあったとしても手加減をしてくれる。つまり、「管理されたいじめ」という関係を持ちやすい。それに比べ、現在のいじめは同一学年のなかでいじめる人、いじめられる人という役割をつくりだしてしまい「管理されないいじめ」となっている。そこで学校の教育方針としては、「競争させないこと」でいじめ問題を解決しようとしている。同一学年のなかで上下関係をつくらないようにするためであろう。しかし、このような方針でいじめを対策することができるのだろうか。
教育におけるいじめ対策の根源を変革すべきだ。
そのための第一の方法は、子どもに競争に勝つことによる優越感を経験させるべきだ。
ここでいう競争するということは、勝負事に限ったもののことをさしているのではない。学校生活においてのちょっとした得意、不得意を競うようなものだ。私が、小学校二年生のとき、保護者や生徒から人気をはくしていた先生が担任となった。私自身も、その担任の先生が好きであった。どうしてその先生が慕われていたのかという理由は、当時の自分には分からなかったが、今になってその理由がすこし分かったような気がする。それは、クラスメイト、一人一人の得意なことをみつけてみんなの前で褒めていたことであるとおもう。例えば、掃除のときに黒板をきれいにしたり、机を沢山はこんだり、授業中に勇気を振り絞って挙手をしたり、トイレのスリッパをそろえたりそんな何気ない事を褒めてくれたのだ。これらのことは学校行事だけでは見いだせない一人、一人の個性である。他人から、その個性を認められるとどこか自分を微笑ましく思うことができる。自分という人間を認められてないと感じてしまうと、自分を大きく見せるために人をいじめてしまったりするものだ。そのため、競争することで、一人一人がそれぞれの分野で一位となるものを見つけることができる。それが大切なのである。
第二の方法は、学校のなかでの評価基準を多様化するべきだ。
先述したような、担任の先生は現在の教育現場にはほとんどいないように感じている。学校の先生は、授業の準備、テストの作成、採点、生徒同士のトラブルの解決などやることが多すぎるのである。そんな、ただでさえ多忙な先生に、生徒同士に競争をするように働きかけるというのは相当な重荷になる。じゃ、どうしたらいいのだろうか。ずばり、生徒にたいする評価基準をかえる必要がある。テストの点数が良いので、成績が良い。といったのが現在、子どもにたいする評価の仕方である。テストで良い点をとることの出来る子は、その子の得意とすることを成績表によって認められる。しかし、中にはテストの点を上手にとることのできない人もいるはずだ。そういった子はどこで自分の得意を発揮するだろうか。生徒一人一人、得意とするものは十人十色なため成績表だけで子どもを評価するというのは違うようにおもう。今後の、評価基準は勉強が得意なこのためにも五段階評価で表すことはつづける。それに加えて、従来の評価基準に加えて各教科の出来ていることを面談の際に口頭でいう。「数学の評価は3ですが、テストをみている限り基礎問題がしっかりできているので素晴らしいとおもいます。」などだ。そんなことをいわれた生徒は、自分の得意とすることを見つけてもらえて自信をもつことができるだろう。すべての子が、競争に勝つ優越感を感じるには、学校の評価基準を改革することが絶対条件である。
確かに、競争することを防ぎ、傷つく人をださないのも大切である。自分が得意と思っていたことで競争に負けたとき、すごく落ち込んでしまうだろう。しかし、競争に負けたというのは、自分にはもっと得意とするものがあると気付かされる一つの出来事になるかもしれない。一番やってはいけないことは、生徒の中で差異が生れることを避けるために、生徒が得意とするものを極力、控えめにしか表現しないことだ。それにより、子どもは自分が何であるかの確認ができなくなってしまうことだ。