自分の経験(けいけん)と読み取った内容(ないよう)を深くつなげていて、とても考えさせられる感想文でした。

<<え2010/28み>>

総評(そうひょう)
 文章全体を通して、「あいまいさ」や「余白(よはく)」というテーマについて、自分の体験・感情(かんじょう)としっかり結びつけて考えることができていました。塩原林間学校でのやりとりやピアノコンクールのエピソードは、自分の思いや迷い(まよい)が伝わってきて、読み手にも共感を呼び(よび)ます。また、「不完全は完全」という結びのことばも印象的で、日本文化の奥深(おくふか)さをよく表現(ひょうげん)できていました。

段落(だんらく)ごとの講評(こうひょう)
第1段落(だんらく):本文の内容(ないよう)を整理し、「日本人のあいまいな表現(ひょうげん)」や「芸術(げいじゅつ)における余白(よはく)価値(かち)」について正確(せいかく)理解(りかい)できています。「それをなんとか」に込め(こめ)られた意味をしっかり読み取っていて立派(りっぱ)です。

第2段落(だんらく):塩原林間学校でのエピソードを取り上げ、「譲り合い(ゆずりあい)」の美しさと難し(むずかし)さを具体的に描い(えがい)ています。会話の引用もうまく使われていて、場面の様子がよく伝わります。

第3段落(だんらく):ピアノの先生とのやりとりでは、断り(ことわり)づらさと本音の間で揺れる(ゆれる)気持ちを素直(すなお)に書けていてとてもよいです。「ピアニストにでもなったかのように」など、比喩(ひゆ)も工夫されており、努力の様子が伝わってきました。

第4段落(だんらく):葛飾(かつしか)北斎(ほくさい)土佐(とさ)光起などの具体的な例を出し、調べた知識(ちしき)をきちんとまとめて自分の考えとつなげています。世界の絵の方が好きという、自分の好みもしっかり言語化できていて素晴らしい(すばらしい)です。

第5段落(だんらく):「不完全は完全」という日本の美意識(びいしき)にたどり着いたまとめが、非常(ひじょう)に深いです。読み終わったあとにも考えさせられる印象的な締めくくり(しめくくり)でした。

【特に優れ(すぐれ)ていた点】
・実体験と読んだ内容(ないよう)を自然につなげて考えられている
・調べた内容(ないよう)的確(てきかく)に引用し、理解(りかい)を深めている
・会話文や比喩(ひゆ)を使って具体的に場面を描け(えがけ)ている
・「不完全は完全」という主題の一般(いっぱん)化に成功している

【考えを深めるための質問(しつもん)
 あなたは「譲り合い(ゆずりあい)」と「自分の気持ちをはっきり言うこと」、どちらが大切だと思いますか? それはなぜですか?

内容(ないよう)◎ 構成(こうせい)◎ 題材◎ 表現(ひょうげん)◎ 主題◎ 表記◎

字数/基準(きじゅん)字数:1405字/700字
思考点:74点
知識(ちしき)点:63点
表現(ひょうげん)点:63点
経験(けいけん)点:67点
総合(そうごう)点:73点
均衡(きんこう)点:6点

 


■思考語彙 19種 24個 (種類率79%) 74点
。だから,。なぜ,。例えば,あると,いうので,いると,しまう場合,すぎると,すると,だから,だと,と思う,なので,なれば,ふさぐべき,みると,れると,思うから,見ると,

■知識語彙 37種 65個 (種類率57%) 63点
一部,不完全,世界,今年,余白,先生,光起,北斎,友達,土佐,外国,完全,意味,日本,日本人,時代,時間,書物,本心,本朝,来週,模様,欠点,江戸,法大,現代,白紙,相手,空間,経験,結局,絵師,絵画,練習,翻訳,葛飾,言葉,

■表現語彙 77種 144個 (種類率53%) 63点
あいまい,うち,かい,こと,これ,しまう場合,そう,それ,どちら,もの,やりとり,よう,アメリカ,コンクール,ピアニスト,ピアノ,ヶ月,一部,不完全,世界,中,事,人,今年,伝,何,余白,先生,光起,分,前,北斎,友達,四,土佐,外国,好き,完全,心,急,意味,扱い,方,日本,日本人,時,時代,時間,書物,本心,本朝,来週,模様,欠点,歳,気,江戸,法大,派,班,現代,画,白紙,相手,私,空間,経験,結局,絵,絵師,絵画,練習,美,翻訳,葛飾,言葉,NO,

■経験語彙 32種 53個 (種類率60%) 67点
くれる,しまう,すぎる,たつ,できる,でる,と思う,なさる,はじめる,ふさぐ,れる,わかる,余る,使う,傷付ける,出す,出る,埋める,引ける,教える,断る,書く,比べる,決まる,習う,行う,補う,見れる,調べる,譲り合う,譲る,通り過ぎる,

■総合点 73点

■均衡点 6点
 

曖昧な言葉
   小5 ゆい(akakiyu)  2025年7月2日

 強いて説明するなら、「あなたはそのような理由で拒絶なさるが、その理由をもう一度考え直して、私の要求に応じてくださるまいか」とでもいう他あるまい。ところが、日本人は義理人情にからまれて、どんなに明白な拒絶の理由があろうと、相手に熱心に頼まれたらそれをむげに断る場合は「だから、私はあなたの願いをお引き受けするわけにはいかない」という確固たる立場を表明しているわけで、したがって、もうそれ以上いくら頼んでも、応じてくれる余地はない。「それをなんとか」することにより、日本の芸術も、その価値を決められるわけである。

 塩原林間学校の班長達が班を決めることになると、友達と私が班長の時、班がなかなか決まらなかった。なぜなら、お互いずっと譲り合っていたからだ。私が、

「余った班でいいです。」

というと、友達が

「私も余った班でいいです。特に希望はないので。」

と言う。その結果、なかなか決まらないのだ。結局友達が班を言って私が余った班になった。アメリカ人など外国人は、はっきりと「NO」や、「YES」というので相手が譲ることはあまりない。それに比べて日本人は、「譲り合う」ということができていると思う。だが、どちらにも欠点はある。例えば、私はピアノを習っている。そして私のピアノの先生が急にこう言い出した。

「ねえ、今年初めてピアノのコンクールに出てみない? コンクールはいい経験になるよ。」

といいはじめたのだ。本当はコンクールになんかでたくなかったが、四歳の時からずっと教えてくれている先生に言われると、断るのはなんか気が引けてしまう。なので、しぶしぶ

「はい。出てみます。」

と言った。このやりとりを行ったのは四ヶ月ぐらい前だが、時がたつのは早い。ついにコンクールは来週となってしまった。私はピアノの練習をまるでピアニストにでもなったかのように、何時間も練習している。このように、本心はコンクールにでたくないのだが、先生に断るのは気が引けてしまい、結局コンクールに出る事になってしまう。だが、私もでたくはなかったが、いい経験にはなると思う。もし私が外国人だったらはっきりと「NO」というと思う。だが、はっきりと言いすぎると、相手を傷付けてしまう場合もある。言葉の扱い方は難しいものだ。

 日本の絵画では、「余白」を使う絵がある。例えば、葛飾北斎の絵なども「余白」がある。なぜ、日本のかいがでは「余白」を使うのか調べてみると、江戸時代、土佐派の絵師である土佐光起は『本朝画法大伝』という絵画について書かれた書物の中で、余白のことを書いている。「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」と書かれているそうだ。これを現代の言葉に翻訳すると、「白紙も模様の一部なのだから、心でそれを補うように見なさい」という意味だ。それに比べて世界の絵はとても空間を埋めている。でも、私は世界の、空間を埋めている絵の方が好きだ。なぜなら、空間を埋めていると、その分見る時間が長くなると思うからだ。余白があると、私だったら絵をパッと見ただけで通り過ぎてしまう。だから、余白がない方がじっくり見れていいのだ。

 日本人は、言葉があいまいだったり、絵だと「余白」という美がある。これは世界の人から見ると不完全だが、日本人から見ると、「不完全」は「完全」ということがわかった。