見えない気持ちの理解
中2 あえさみ(aesami)
2025年7月2日
ただ、ひとつ留意しなくてはならない点がある。母親語ときわめた心でいながら非なるものとして、「赤ちゃんことば」という現象が広く流布しているからなのだ。おとなの使う赤ちゃんことばは明らかに赤ちゃんとの語りかけに際して特異的に用いられ、赤ちゃんの言語使用の次元におとなが同調することで、双方の間の交流を促そうとする努力の現われであるとみなすことができるだろう。単純に結論づけると、赤ちゃんことばの現象は文化によって左右され、母親語は文化の違いを問わず普遍的である。
日本人の子育てでよいと思う。子供の目線に立って接する姿勢で接するということだ。子供の感じ方や考えを尊重しようとする姿勢は、子供の心を育てるうえでとても大切だと私は思う。私は昔、学校の工作で一生懸命作った作品を家に持ち帰った。正直、大人から見れば雑で、形もいびつだったと思う。でも、母は「すごくおもしろい形だね。どうやって作ったの?」と目を輝かせて聞いてくれた。そして、私の話を最後まで聞いて、「よく工夫したね」とほめてくれた。母が私の気持ちに寄り添ってくれたことで、自分の努力が認められたと感じ、自信を持つことができた。子供はまだ言葉でうまく説明できなかったり、自分の気持ちを表現できなかったりする。でも、その心の中にはしっかりとした思いや考えがある。大人がそれを理解しようと努力することが、子供の安心や信頼につながるのではないか。子供だからこそ一人の人として接する。そのような子育てが、子供の心を大きく育てるのだと思う。
子供を小さな大人として扱う子育てにも良さがある。子供の自主性や責任感を育てるという大きな利点がある。最近では日本でも広まりつつあるモンテッソーリ教育に、その考え方がよく表れている。モンテッソーリ教育では、大人が一方的に教えるのではなく、子供自身がやりたいことを選び、自分のペースで学ぶことを大切にしている。教室には年齢の異なる子供たちがいて、自分で選んだ活動に集中し、時には年上の子が年下の子を自然に助ける姿も見られる。大人は「先生」ではなく「援助者」として、子供の成長を静かに支える。このような環境で育った子供たちは、自分で考え、判断し、行動する力が自然と身につく。実際に、モンテッソーリ教育を受けた人の中には、企業の経営者や科学者など、世界で活躍する人も多い。彼らは、子供時代に自分で考える経験を重ねてきたからこそ、独自の道を切り開けたのだろう。私も中学生になり親との関わり方が変わった。子供を小さな大人として尊重することは、決して厳しく接することではないと感じている。むしろ、子供の力を信じ、自分の人生を自分で歩めるように導く、愛情深い子育てなのだと私は思う。
子供の目線に合わせた子育てにも、子供を小さな大人として扱う子育てにも、それぞれ良さがある。しかし、いちばん大切なのは、子供の個性や気持ちを深く理解することだと思う。子供が自分らしく生きるため親の理解は大切だ。教育とは、「子供が自分の才能を見つける手助けをすることだ」と、アルバート・アインシュタインは語っている。今の時代、個性は尊重されるべきだという考えが主流になってきている。だからこそ、子供に接するときには、その子自身のアイデンティティを、周囲も本人も大切にしていく姿勢が求められるのではないか。