手を差し伸べて?
中2 明香里(auseri)
2025年7月3日
ユージーンは東京と違って、街自体がそれほど大きくなく、生活のリズムがゆったりとしているせいもあるだろう、見知らぬ人同士でも、道ですれ違うと、「ハロー」とあいさつし、バス停に車椅子の乗客がいれば、乗り込むまで当たり前のように待っていて、自分の感情を外に出して、「自分たちの屈強に直面し、それを分かち合うことができていたら良かった」と記す。自分の責任で「屈強に直面する」傷つけられる権利と呼び、障害がこの自由をどれだけ阻むかは、その時代のその社会が、障碍者をどう位置付け、その中で人と人との関係をどう作っているかで決まり、ユージ―ンの風は、そのことも私に教えたのだ。
確かに私たちは、障害を持つ人々に手を差し伸べていくべきだ。私の学校、私の学年にはD君という少し障害のある子がいる。小学校六年生の頃から支援学校から私たちの通う学校に通っているのだ。それに、小学校五年生のときにもお母さんと一緒に一ヶ月に一回程度、遊びに来ていた。今では学年の一員として活動しているし、D君のことは学年の全員が分かっているため、休み時間に廊下であったときなどに名前を呼んで手を振ってあげたりしている。
私は、みんなが障害がある人と普通になんともなく学校にいる人とを分けることなく学年で一体感を示し、かつ誰とでも接することができているからこそ、障害がある人でも過ごしやすく、中学生になっても一緒にいることができたのだと思う。
しかし、障害を持つ人たちが、自らの力でやり遂げようとする意思を尊重することも大切だ。乙武洋匡さんは生まれつき手足がない障害を持ちながらも、小・中・高校と通常学級で勉強をしていた。また一九九八年に乙武さんが出版した「五体不満足」はベストセラー入りし、世の中にたくさんいる障害を持つ人の考え方や、生き方を多くの人々に伝えてきたのだ。そして、この乙武さんは、自分ができることはなんでも自分でやり遂げてきた人であり、学校生活では、できる限り自分の力で移動や勉強をする工夫をし、必要以上に人に頼らなかったそうだ。
私は生まれつき手足があるから手足がない感じがあまり分からないが、手足がなくても落ち込んで暗い人生を送るのではなく、落ち込まずに自分のできることは自分でやろうと明るくポジティブに考えているのが良いなと思った。私はこれからけがなどをしても、何もできないではなく、何かできることをしようと考えたい。
確かに障害を持つ人に手を差し伸べてあげることも、自分の力でやり遂げる意思を尊重することも大切だ。しかし最も大切なことは「私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある」という言葉があるように、対等な立場でみんなが一つの人生を突き進んでいくのだという姿勢だと思う。
だから私は障害を持っている人だけでなく、今の学校生活で鉄でってほしそうな人がいたら手を差し伸べてあげたり、自分の力でやり遂げられそうであれば、意思を尊重してあげるということで自分でやらせてあげることが大切なのではないだろうか。