自分なりに変化させる
   高1 ヨーヨ(waoho)  2025年7月3日

 テレビアニメ「それいけアンパンマン」はまるで、水戸黄門のようなワンパターンを繰り返している。それには問題を根っこから解決しようといった場面はない。これはさまざまなアニメに通じることであり、人と人がじっくり向き合い、どうすれば問題が解決するのか掘り下げて考える場面が出てこない。少なくなる子供の体験の場ではなく、短絡的なパターンの長寿番組になっている。私たちは、問題の複雑さを考える体験を持つべきだ。

そのための方法として第一に、与えられたお手本通りに考える姿勢を改めることが重要である。なぜなら、現代社会では、あらかじめ決められた枠に収まることよりも、その場その場の状況に応じて柔軟に考え、周囲と調和しながら適切な行動を選び取る力が、より強く求められているからだ。ただし、出発点となる基本的な型を身につけておくこと自体は必要である。型を学ばずに、自分らしさだけを主張しても、それは本質から外れてしまう恐れがある。型とはあくまで基礎であり、それに従えばすべてうまくいくというものではない。たとえば、定型的なテンプレートが用意されている場面でも、単になぞるだけでは、真の意味でその形式を活用しているとは言えない。重要なのは、型の意図や構造を正しく理解し、それをどう応用すればより効果的になるのかを、自らの頭で考えられる力である。状況によっては、形式自体を工夫して変える必要があるかもしれないし、逆に型の範囲内で表現を洗練させることが求められる場面もある。そのとき、自分に求められていることを的確に見極め、最もふさわしい形を選び取る力が問われている。つまり、これからの時代に必要なのは、正解を暗記してその通りに答える力ではなく、変化を読み取り、最適な行動をその場で判断し、実行する力である。そのような力を育てるためには、まず型を鵜呑みにすることをやめ、自分の頭で考え、主体的に動こうとする姿勢が必要だ。そうしてはじめて、単なる知識の吸収を超えた、本当の学びと成長が始まるのである。例えば、よく数学の問題などでテストをしたときに、これは習っていないという人がいる。しかし、それは実際は少し考えて習った問題を変えて考えればわかるケースがある。これはいかにそのまま問題をコピーして数字を当てはめるのではなく、適応することができるかという対応力が求められるのである。すなわち、得た知識や方法を丸覚えするロボットでもできることではなく、いかに自分の考え方や経験と照らし合わせて発展させることができるかということがこれからの社会には必要なのではないか。

 第二の方法として、さまざまな世代が関わりあえるように環境を整え、場を設けることだ。それは、世代ごとの知識や価値観の違いを乗り越え、互いに学び合い、支え合う社会を築くために欠かせないからである。現代は、技術や文化の変化が速く、同じ国や地域に住んでいても、世代によってものの見方や感じ方に大きな隔たりがある。そのような中で、たがいに距離を置いて暮らすのではなく、あえて交わる機会をつくることが必要とされている。だが、ただ場をつくればよいというものではない。それぞれの世代が無理なく集まり、安心して話し合い、共通の関心を持てるような工夫が求められる。しかし、その場において役割をあらかじめ固定してしまうと、たちまち上下の関係が生まれてしまう恐れがある。年長者が必ず教える側に立ち、若者が受け身で学ぶという構図になってしまえば、対等な対話は成り立たない。本来、世代のちがいは優劣ではなく、多様な視点や知識をもたらすものであるはずだ。どの世代にも学ぶことはあり、語るべき経験もある。だからこそ、形式的な役割にしばられず、それぞれの人が自然に声を出せる場づくりが必要とされる。たとえば、年齢による上下関係にとらわれず、対等に語り合える雰囲気を大切にしたり、異なる経験を持つ人どうしが共に活動できるような仕組みを取り入れたりすることで、その場が単なる集まりではなく、実のある交流の場となる。実際、今の時代、20代が社長の会社や、先陣を切る人たちが若者である例は珍しくない。また、こうした取り組みを一時的なものにせず、日常の中に根づかせるには、制度や意識の両面から支えることが不可欠である。地域や学校、職場など、あらゆる場所で世代を越えた対話が当たり前となるような風潮にしていかなければならない。そのためには、一人一人が世代のちがいに対して壁をつくらず、むしろそこから新たな気づきを得ようとする姿勢を持つことが大切だ。僕も、学校の先生では生徒に対して先生が教えるという常識が悪影響をもたらしていると感じたことがある。人である以上、たとえ先生と名乗っていても間違いや知らないことがあり、生徒から学ぶ部分は多くあるはずだ。その対話のチャンスを先生が上で生徒が下という考えによって無くしてしまっているのではないか。このように、多様な世代が自然と関わり合う環境をつくることは、社会全体の持続可能性にもつながっていき、異なる立場を理解し合い、知恵を分かち合うことによって、これからの社会はより豊かにより強くなっていくのである。

 確かに、手本があれば、大胆な解決は図ることができる。しかし、「誰かの答えをなぞるのではなく、自らの問いを持つ者こそが、真に学ぶ者である。」というように、自分なりに問題に向き合い、考える姿勢を持つべきだ。