体験と考えがしっかり結びついていて、とても説得力のある意見文になっています。

<<え2018/66み>>

【総評】
 具体的な体験から出発し、自分の考えを丁寧(ていねい)に広げており、非常に読みごたえのある意見文でした。身近なエピソードと国際的な例を対比させながら、手助けの「光」と「(かげ)」についてバランスよく論じられています。特に、最後に「優しさが最重要」と結ぶ部分は、全体をしっかりとまとめる力強い主張となっており、読後感がとてもよかったです。

【段落ごとの講評】
第1段落:日常の中で体験したエピソードから、「罪悪感」という複雑な感情を取り上げた点が優れています。気持ちの動きが自然に描写(びょうしゃ)されており、読み手も共感しやすい書き出しです。

第2段落:過去の経験を思い出しながら、「手助けのありがたさ」に言及(げんきゅう)しています。場面描写(びょうしゃ)丁寧(ていねい)で、状況(じょうきょう)が目に浮かぶ(うかぶ)ようです。「橙色の空」や「急な坂」の描写(びょうしゃ)が印象的です。

第3段落:国際的な問題に視野を広げ、「善意の手助けが裏目に出る」具体例を挙げた構成がとてもよくできています。具体的な国名や背景を取り上げ、論拠(ろんきょ)としての信頼(しんらい)性が高まっています。

第4段落:結びとして、「手助けの本質」に立ち返り、価値判断の基準を「優しさ」においた点が秀逸(しゅういつ)です。引用を交えつつ、自分の主張を力強く述べています。

【特に優れていた点】
・身近な出来事から社会問題まで、広い視点で考察できている
・場面描写(びょうしゃ)が豊かで、読者の共感を誘っ(さそっ)ている
・具体的な国名や背景を挙げた論証が説得力を高めている
・最後の主張が明快で、意見文として完成度が高い

【考えを深めるための質問】
 今後、手助けをする場面に出会ったとき、どのようにその「優しさ」を伝えたいと思いますか? そのためにどんな工夫ができそうですか?







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内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎

字数/基準字数:1043字/800字
思考点:85点
知識点:82点
表現点:82点
経験点:74点
総合点:87点
均衡(きんこう)点:6点

 


■思考語彙 23種 28個 (種類率82%) 85点
n確か,。しかし,あるべき,あれば,いく可能,かけざる,すると,たので,だから,できざる,と思う,に考える,のかも,のため,の場合,ましょう,ももちろん,休もう,健康らしい,座ろう,役に立とう,考えるば,譲るべき,

■知識語彙 64種 74個 (種類率86%) 82点
一時,不可能,世界,事例,位置,体力,余計,健康,元気,公園,具体,友達,地元,場所,外国,外見,大切,大変,大抵,女性,存在,対抗,小学校,帰宅,年生,当時,意味,感謝,援助,支援,放課後,政府,政策,時間,景色,本来,橙色,無意識,現地,産業,男性,発展,相手,積極,筋力,罪悪,背後,自分,自立,自身,自転車,行動,言葉,記憶,試練,資金,途上,過剰,邪魔,重要,長期,阻害,電車,頻繁,

■表現語彙 120種 165個 (種類率73%) 82点
n確か,あと,いく可能,おかげ,お世話,こと,さ,そう,そこ,それ,とき,どこ,のため,の場合,よう,アフリカ,エチオピア,カリブ海,ハイチ,マイナス,一つ,一時,不可能,世界,事例,五,人,位置,体,体力,余計,健康,元気,先,公園,具体,友達,国,地元,坂,場所,声,外国,外見,大切,大変,大抵,女性,存在,家,対抗,小学校,席,帰宅,年生,当時,後ろ,急,性,息,意味,感,感謝,扉,手,手助け,援助,支援,放課後,政府,政策,方,日,時,時間,景色,本来,東,横,橙色,歩,気持ち,無意識,現地,産業,男性,発展,的,相手,私,積極,空,筋力,罪悪,習い事,背後,自分,自立,自身,自転車,行動,言葉,記憶,試練,誰,誰か,資金,途上,遊び,過剰,邪魔,重要,長期,阻害,電車,面,頃,頻繁,顔,駅,

■経験語彙 37種 59個 (種類率63%) 74点
かける,く,くれる,しまう,しれる,できる,と思う,に考える,られる,上る,下さる,乗り込む,休む,出す,切る,助ける,動く,含む,帰る,座る,役に立つ,手伝う,持つ,挙げる,染まる,歩く,沈む,漕ぐ,潰れる,無くなる,移す,空く,落ち着く,行う,譲る,起きる,頼る,

■総合点 87点

■均衡点 6点
 

手助けをする理由
   中2 あきかは(akikaha)  2025年7月2日

 習い事の帰り、電車に乗り込んですぐに、背後の扉が閉った。少し息が苦しかったので、どこかに座って落ち着きたい。5歩ほど先の席が空いていたので、座ろうと歩き出した。すると、自分よりも先にある男性がその席に座り、私が座る場所は無くなってしまった。そのとき、無意識に悲しそうな顔をしてしまったのかもしれない。横にいた女性が、あと1駅だからと席を譲ってくれた。私は、感謝の気持ちももちろんあったが、それと同じくらい、罪悪感を持ってしまった。本来であれば、自分のような元気に体が動く人が積極的に譲るべきだからだ。

確かに、手助けは良い。私が小学校五年生だった頃の放課後、友達と遊びに自転車で公園まで行った。家に帰る頃には既に日が沈みかけていて、空は橙色に染まっていたような記憶がある。景色はとても美しいのだが、私の家に帰るまでには、急な坂という一つの試練があった。当時の筋力と体力では、自転車を漕いでその坂を上り切るのは不可能だったので、手で押して上るしかなかった。しかし、それもとても大変だった。一度休もうかと思ったその時、後ろからある女性が「手伝いましょうか」と声をかけて下さった。私はその方のおかげで、時間をかけずに帰宅することができた。このように、手助けは誰かの役に立つことなのだ。

しかし、手助けは時に邪魔になってしまう。世界には、発展途上国への過剰な援助が、かえってその国の自立を阻害してしまうという事例がある。具体的な国としては、カリブ海に位置するハイチ、東アフリカに位置するエチオピアなどが挙げられる。特に、地元の産業が外国からの資金援助に対抗できず、潰れてしまったり、現地政府がその支援に頼り切ってしまい、自立的な政策を行わなくなってしまったりした。このように、よかれと思って行動に移した手助けも、一時的には「支援」としての意味を持つが、長期的に考えればマイナス面がだんだんと大きくなっていく可能性があるのだ。

手助けは、大抵の場合良い意味を含む。だが、それが余計なお世話となってしまうことも珍しくはなく、実際頻繁に起きていることだ。しかし、最も大切なことは、相手の役に立とうとしているということである。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」という言葉があるように、手助けをするかしないかよりも、そこに「その人を助けたい」という優しさが存在していることが最重要なのだ。手助けは常に、誰かのためであるべきなのである。