私は改めて自分の部屋に(感想文)
   小6 あこまき(akomaki)  2025年7月3日

 ももこの家は今日先生がやってくる。ももこの母は、一生懸命に片付けて家を綺麗にした。ももこの部屋の机の上も綺麗になっていたが、引き出しを開けると昨日捨てられなっかったゴミが沢山詰め込まれていた。そして先生がやってきてももこの机の引き出しを開けた。先生は笑い、母とももこは赤面した。自分をより良く見せようとしたが、先生にばれてしまった。何でもやりすぎは良くない。

 私は、毎朝前髪を整えている。すると母から

「誰にもみられないし大丈夫だよ」

と言われる。母は多分早く行動をして行きたいのだと思う。しかし私は友達や知り合いに会っても恥ずかしくない格好をしてよりかわいくみせたいと思う。そして、髪の毛は私にとってファッションの一部だ。だから私はいつも前髪をくしやスプレーで整えてより人によく見せようと努力をしている。

 母は、普段一日パジャマだ。1日ダラダラ過ごしご飯の時だけエプロンをしているだけだ。だが、義理母が来たときは違う。なぜなら義理母は私たちが起きる頃にはアイシャドウ、リップなどの化粧類や髪の毛にくるくるとしたカールを巻いているからだそうだ。とてもおしゃれに仕上げているそうだ。そして、青と白の裾に刺繍が入ったとてもオシャレで優雅なワンピースを着ているそうだ。私が祖母に聞いてみると

「色々な人にあった時に私の祖母が素敵と思ってもらいたいからだよ。後、母にも礼儀のいい頼れる人だと思ってもらいたいからだよ。」

と言っていた。母は祖母のいる日だけ祖母に頼れる人だと思わせようと渋々Tシャツとズボンに朝着替えている。

 私の猫、ミミも見栄を張っている。ミミはダラダラと自分のベットで大の字になって寝ているが、チュールやえさをあげる時は礼儀がよい。高い声でニャーニャー鳴いたり、お皿の前でビシッとしたりしている。一生懸命によりたくさんそして早く食べれるように努力をしているのだと思う。私はそんなミミを見て、家猫に言えねぇことだけれど、いつものようにダラダラをしている時と餌を目の前にしている姿はまるで別人だと思う。

 見栄とは人間にとっての性質である。見栄を張る、上部を飾る、強がる、背伸びをする、格好をつける、このような言葉の意味は人によりよく見てもらうために無理をしたり嘘をついたりすることだ。なぜか人はこのような言葉を人を騙したりと悪いことをするイメージが植え付けられている。しかし、私はそう思わない。これは人によりよく見せて自分が恥をかかないようにする努力の結晶だと思う。もし、このようなことをしなかったら人間は怠けて社長などの偉い人も毎日パジャマで登校したり、髪の毛や髭は伸びていき、国は衰えてしまうと私は思う。

 明日は、私の友達家族が来る。母は、友達家族によりよく見てもらおうと家中を片付けしている。トイレの便座や庭の雑草、廊下の髪の毛をとったり、机の上のものを片付けたり母は一生懸命に見栄を張っている。私も自分の部屋を片付けて友達に綺麗と思ってもらおうと思う。そのおかげで私の家はとてもピカピカだ。母の買い出しが終わったらまず最初にありがとうの一言を言って感謝の思いを伝えたい。そして、母とセコセコ家の片付けをしてゆきたい。