片付けのスイッチを
   小6 ことと(akakoto)  2025年7月3日

 私は改めて自分の部屋に行ってみた。母が苦労して片付けたおかげで、かなり快適そうな子供部屋になっていた。机の上がきれいなのもわざとらしい。机の引き出しを開けてみると、小物類がゴチャゴチャと入っていた。一見きれいに見えるこの部屋も、引き出しを開ければこんなもんである。所詮、茶番にすぎないのだ。やがて、先生はやって来た。話は終わったらしく、先生と母が子供部屋に入ってきた。先生は、入ってくるなり「きれいに片付いているな。ふだんはもっと散らかっているだろう?」と痛いところをつき、私と母は赤面した。先生は、私の机の上を見て、引き出しも開けた。引き出しの中を見た先生は吹き出し、私と母はますます赤面した。

私は五年生のとき、友達に「外で遊ぶついでに家に入りたい」と急に言われたことがある。 それを聞いた瞬間、私の頭の中で警報が鳴った。実際、私は元から自分の家の中に人をいれるのには少々、抵抗があったのだ。 理由は簡単で、ただ家が狭くて汚いからだ。そんな中、遊ぶ二日前に言われてしまってはどうしようもない。個人的に、片付けをするのは苦でもなんでもない。むしろ好きだ。片付けには終わった時の達成感があるし綺麗になった部屋をみると気持ちも綺麗になる気がするからだ。しかし、片付けをするには私の中の特別なやる気スイッチを押さねばならない。私のやる気スイッチが押されるのは、意味のわからない時間帯が多い。習い事が終わった後や、夜の九時半に塾の宿題をするなど言い出したこともあった。とにかく、片付けるのは好きでも片付けようとするまでの時間がひたすら長いのだ。二日前に家に入りたいと言われても、スイッチが押される気がしない。断ればいいだけの話だが、先週その友達の家で遊ばせてもらったのだから、渋々OKしてしまった。その日、私は急いで家に帰って片付けの準備を始めた。まず、アイスを食べる。自分の中をやる気スイッチを押すには、自分に正直なのが一番効果的だと思ったからだ。しかし、やる気は起きなかった。しかも、私は後回し癖があり、「やる気が起きないならやーめた」とその日は諦めてしまった。次の日は、洗濯物だけを畳んだ。さすがに洗濯物が置いてある部屋には入りたいと思わないだろう。そして、ついに当日が来てしまった。無論、私の部屋は片付けていない。友達が、家に来た時は、玄関で「ぜっっったいにリビングだけだからね!」と飽きられるほど言ったのを覚えている。まず、私が先に家に入り、俊足で自分の部屋の扉を閉めて「上がっていいよ」と言った。友達は、特に不思議に思わなかったようだが、私がずっと扉の近くに立っているからチラチラと私の部屋の辺りを見ていた。

結果、自分の部屋は見られなかったから私の勝利である。

 「掃除」と言われて思いつくのは、なんだろうか。私は、二つある。まず、一つ目はお正月の大掃除だ。二つ目は、三月のひな祭りである。お正月の大掃除は個人的に定番であり、一年を通して大変な行事だと思う。昔、私の家には畳があったが、大掃除の時だけは畳を外して雑巾掛けをしなければならなかったからかなり面倒だった。今は、畳が無いから小さい頃に比べれば今年の掃除は、楽なはずだ。そして、二つ目のひな祭り。ひな祭りは、お雛様たちを出さなければいけない。最近は、片付けや準備が大変ということで普通のサイズより、小さいものもあると聞く。しかし、私の家はミニ版でもなんでも無い普通のサイズのお雛様であるため、出すところの場所取りが必要だ。しかも、お雛様を置く場所は大体私の部屋になる。というか、毎年そうなのだ。三月は、私の誕生日の月でもあるし、桜が好きだから一年を通して一番好きな季節と言っていいくら好きだ。しかし、三月序盤は、この大掃除があるために、片付けが憂鬱なのである。

 人間にとって、「片付ける事」とは部屋や場所だけでなく、自分の心や気持ちも整理されたり、日本にとって大事な行事の準備ということも分かった。しかし、一つ言うなら私のように片付けをするタイミングがバラバラな人もいるから、「行事の手前にこれをやる!」と時期を決められるのは少々嫌である。