競争社会
高3 さとり(wamaro)
2025年7月2日
千九七九年一月十七日から同年二月九日までの朝日新聞「今学校で」欄に、十六回にわたって「テストの点数は人間の価値観を測る絶対的な尺度であり得るか」という問題について、A、B両氏の紙上討論とも言える「往復書簡」が掲載された。まず、人間の価値ということであるが、どこの学校においても知育、徳育、体育の調和のとれたことだと考えている。子供を本能のままにまかせたら遊んでばかりいて、しまつにおえないのではないか。今の社会が貨幣を軸として回転しているように、今の学校は点数を軸として回転している。評価の目指すところは結局は点取り競争であり学校を、共に学ぶ場所でなく、優勝の劣敗、弱肉強食の荒涼たる「勉強強制収容所」に変えてしまった原因の一つである。現代では、ゆとり教育という名の子供を成長させない教育をしていることが問題だ。
原因として親が己の子どもを信頼できていないからだ。今は多くのモンスターペアレントが多くいる。そもそも、なぜモンスターペアレントは増えているのだろうか。おそらく、子供のことは宝石のように思い、扱っている。宝石は原石の状態でも美しいが磨くと更に美しい。子供も、そのままの状態でもいとおしいが、磨くと才能が芽生えたり、それに伴った将来の価値を安定している。だが、才能というのは必ず開花するとも限らない。そのため、子供の将来を守るためにモンスターペアレントになっていくのだろう。私は運動会やテストなどを通して、いろいろなことを競ってきた。そこではじぶんの実力を理解するための大切な線引きの過程であったと思う。線引きをできる限り正確に行うことで、自分のできる最大限を行動するため人の命を救うことだってできる。どういうことかというと、優劣をつけないと優秀な医者が減ってしまい九割藪医者になるかもしれない。これは極論だが皆分からないところがあったとしてもその一人に合わせて授業をして、テストもその人たちのために難易度を下げなくてはならなくなってしまう。しかし、自分で能力の線引きをすることで自分の上下の必要な力を理解できると本来助けられた人を救えないという状態に陥らなくて済む。
対策として、その業務にたいして成長が大きく必要か考えることだ。イタリアで活躍している日本人カーデザイナーの紹介番組を見ました。その人がアメリカでデザインを学び修行していた時、徹底的に作品を批判され、書き直しを命じられ、とても辛い日々を送っていたそうです。それを乗り越えて自分がチーフになった時、かれは「後輩達に、自分のような辛い思いをさせたくない」との一心から、その部署では人間関係をよいものになりましたが、なぜか革新的なデザイン、素晴らしい作品はあまり出ず、結局業績も不振で何人かのデザイナーをリストラしなければならなくなったそうです。彼をその反省を元に、今では大変厳しい批判とメンバー間での過酷な競争方式を採用し、高名なデザイナー集団のリーダーを務めています。