体験や読書、ニュースから感じたことを深く考え、ていねいに言葉で伝えられた立派な意見文でした。
<<え2019/22jみ>>
【総評】
「支援すること」と「尊重すること」という2つの視点から、障害者との関わりについて丁寧に考察しており、とても完成度の高い文章です。自分の体験や、文学・スポーツ・音楽など多様な実例を引き合いに出して、主張に説得力を持たせています。また、ヘレン・ケラーの言葉を結びに用いたことで、全体の主題を高い視点から総括しており、中学2年生として非常に優れた構成力が光っています。
【段落ごとの講評】
第1段落:ローズマリ・サトクリフの言葉を引用し、「傷つけられる権利」という深い主題を丁寧に紹介しています。言葉の選び方が落ち着いており、読書から得た考えを自分の言葉に落とし込めています。
第2段落:自身の体験を通して「手を差し伸べることの意味」を実感したエピソードが、心に残る内容となっています。描写も細かく、感情の動きが伝わってきます。「助けることで自分も豊かになる」という気づきが、読者にも共感を呼びます。
第3段落:パラリンピックや視覚障害のあるピアニストの話など、社会の中で挑戦する人の姿を取り上げながら、「見守ること」の大切さを考察しています。「支援」のあり方について、自分なりの視点をもって深く掘り下げており、説得力が増しています。
第4段落:「対等に向き合う」という価値観を結論として提示し、ヘレン・ケラーの名言で思想を広げています。主張が一貫しており、論理のまとめ方に無理がなく、読後感もとても良いです。
【特に優れていた点】
・文学、体験、社会的実例を効果的に活用し、主張に説得力を与えている
・複数の視点を取り入れ、深い考察につなげている
・ヘレン・ケラーの名言を引用し、結びで主題を見事に一般化できている
【考えを深めるための質問】
「対等に向き合う」ために、あなたが日常生活でできることには、どんなことがあると思いますか?
【字数を伸ばすためのアドバイス】
すでに構成や内容の充実度が高く、字数も十分に達しています。もしさらに内容をふくらませるとすれば、「あなたが今後してみたい支援のかたち」や「身近な人との関わりで実践できる例」など、未来に向けた視点を加えるとさらに深みが出ます。
内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎
字数/基準字数:1406字/800字
思考点:85点
知識点:73点
表現点:76点
経験点:94点
総合点:84点
均衡点:2点
■思考語彙 23種 30個 (種類率77%) 85点
、むしろ,。しかし,。だからこそ,。もちろん,あれば,かかわらざる,からこそ,こそ可能,そう思う,たから,だと,だろう,と思う,と考える,なければ,なるため,のため,は思う,やり遂げよう,わからざる,傷つこう,心から思う,接すれば,
■知識語彙 52種 80個 (種類率65%) 73点
一緒,中学生,交流,人間,体験,価値,元気,全力,努力,周囲,大切,存在,学校,実感,対等,尊重,彼女,必要,意志,意思,感動,感覚,成功,挑戦,支援,最初,本人,権利,演奏,特別,生徒,直面,相手,社会,第一歩,経験,義足,自分,自然,自由,苦労,苦境,行事,視覚,記憶,責任,運動会,選手,関係,限界,陸上,障害,
■表現語彙 106種 190個 (種類率56%) 76点
がち,きっかけ,こそ可能,こちら,こと,そう,それ,たくさん,たち,とき,なるため,のため,もの,よう,イベント,ケラー,ゴール,ニュース,パラリンピック,ピアニスト,ヘレン,ボール,一,一人ひとり,一緒,上,中,中学生,交流,人,人間,会,体験,何,価値,元気,全力,力,助け,努力,周囲,大切,姿,存在,学校,実感,対等,尊重,度,役,彼,彼ら,彼女,心,必要,意志,意思,感動,感覚,成功,手,挑戦,支え,支援,方,日,最初,本人,権利,気持ち,演奏,特別,班,生徒,男の子,皆,直面,相手,社会,私,第一歩,経験,義足,耳,自ら,自分,自然,自由,苦労,苦境,行事,視覚,記憶,誇り,豊か,責任,車いす,近く,運び,運動会,選手,関係,限界,陸上,障害,頼り,
■経験語彙 50種 68個 (種類率74%) 94点
あげる,かかわる,くれる,しまう,せる,そう思う,と思う,と考える,は思う,もらう,やり遂げる,ゆく,られる,れる,わかる,伝わる,使う,信じる,傷つく,傷つける,助ける,助け合う,動ける,受ける,合う,向かう,向き合う,呼ぶ,変わる,失う,奪う,守る,差し伸べる,心から思う,忘れる,感じる,戸惑う,押す,持つ,挑む,接する,楽しむ,残る,気づく,生きる,積み重ねる,笑う,見守る,語る,走る,
■総合点 84点
■均衡点 2点
お節介と思いやり
中2 あえさみ(aesami)
2025年7月3日
ユージーンは、街のなかに障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。そして、障害者と自然にむきあう街だった。イギリスの児童文学作家、ローズマリ・サトクリフの自伝、「思い出の青い丘」には、「ほかの子どもにはできるある種のことが自分にはできないことが、観念的にしか理解されていない」子どもの時期から、障害のもつ社会的な意味、自分とふつうの人々とを隔てる微妙な壁に気づき、それが人生に与える影響、「孤独」を知るまでが、語られている。傷つこうが、自分の責任で「苦境に直面する」、それを彼女は「傷つけられる権利」と呼んだ。この「経験を積み重ねてゆく自由を持つ権利」を守っていかなければならない。
私は、障害を持つ方に手を差し伸べることは、社会で共に生きる上でとても大切なことだと考えている。そう思うようになったのは、中学生のときの学校行事での体験がきっかけだった。その日は、近くの特別支援学校の生徒たちと一緒に、運動会を楽しむという交流イベントがあった。私の班には、車いすを使っている男の子がいた。最初はどのように接すればよいかわからず、少し戸惑った。しかし、一緒にボール運びをしたとき、彼がとても楽しそうに笑ってくれたことが心に残っている。私は彼の車いすを押す役だったが、「ありがとう」と何度も言ってくれるその姿に、むしろこちらが元気をもらったように感じた。この体験から、障害のあるなしにかかわらず、人は互いに助け合う存在なのだと気づいた。そして、手を差し伸べることは、相手のためだけでなく、自分の心も豊かにするものだと実感した。社会の中には、ほんの少しの支えがあれば、もっと自由に動ける人がたくさんいる。私たち一人ひとりがそのことに気づき、自然に手を差し伸べられる社会になっていってほしいと心から思う。
私たちは、障害を持つ人たちに手を差し伸べることが大切だとよく言われる。もちろん、それは必要なことだ。しかし同時に、障害を持つ人たちが自らの力でやり遂げようとする意思を尊重することも、同じくらい大切だと私は思う。そのことを強く感じたのは、パラリンピックを見たときだ。私は、義足の陸上選手がゴールに向かって全力で走る姿に深く感動した。彼らは「助けを受ける存在」ではなく、「自分の力で限界に挑むアスリート」だった。その姿からは、努力や苦労だけでなく、強い意志と誇りが伝わってきた。また、視覚障害のあるピアニストが、耳と感覚だけを頼りに演奏会を成功させたというニュースも記憶に残っている。周囲の支援もあったが、何より本人の「やり遂げたい」という強い気持ちがあったからこそ可能になったことだと思う。私たちはつい、「助けてあげなければならない」と考えがちだ。しかし、それが本人の挑戦する気持ちを奪ってしまうこともある。だからこそ、ただ手を差し伸べるだけでなく、「見守り、信じ、尊重する」ことも忘れてはならないのだ。
障害を持っている方に手を差し伸べることも、自らの手でやり遂げようとする意思を尊重することも大切だ。しかし、もっとも大切なことは一人の人間として対等に向き合うことだ。私たちは皆、何かを失っている。しかし、それでも人間としての価値は変わらない。とヘレン・ケラーは言った。障害があっても、互いに尊重し合うことが対等な関係になるための第一歩ではないだろうか?