どう向き合うか〔清書〕
   中2 あおらえ(aorae)  2025年7月4日

  ユージーンは、街の中に障害者がいることで、人の流れが変わらない街、障害者と自然に向き合う街だった。イギリスのローズマリ・サトクリフの自伝には子供の時期から障害の持つ社会的な意味に気づき、「孤独」を知るまでが書かれている。彼女は第二次大戦の終結を境に一つの恋愛を経験している。両親は娘が傷つくことだけを恐れ、彼女も恋を「恋」として直視することを回避し、それは結局別離に終わった。「傷つけられる権利」と、彼女は呼んだ。この本を読んで障害者はずっと同じことを主張してきたのだと思った。障害者が経験を積み重ねてゆく自由をどれだけ阻むかは、その時代のその社会が、障害者をどう位置付け、その中で人と人との関係をどう作っているかで決まる。ユージーンの風は、そのことも教えてくれた。



 障害を持つ人には手を差し伸べるべきだ。国連がまとめた「障害者権利条約」には、「障害者が他の者と平等に社会に参加するためには、合理的配慮が不可欠」であると明記してある。これは、支援を特別扱いではなく平等を実現するための手段として位置付けている。2023年にサウジアラビアで行われた脳卒中患者に対する研究がある。これは社会的支援と自己効力感が日常生活動作に与える影響を調査したものであり、これによると社会的支援が直接的に日常生活動作に与える影響は確認されなかった。しかし、社会的支援は自己効力感を通じて間接的に日常生活動作に影響を及ぼすことが示唆された。それに加え、社会的支援がある患者は自己効力感が高く、日常生活動作が20%以上改善する傾向が示された。よって、生活改善のために障害を持つ人に手を差し伸べるべきである。



 しかし、障害を持った人たちが、自らの力でやり遂げようとする意思も尊重するべきだ。たとえ障害を持っていなくとも、すべての物事を他人任せにしていては成長できない。イソップ寓話には、「うさぎとかめ」という有名な話がある。ある日ウサギと亀で競争をすることになった。ウサギは亀よりも速いという自信があったため道中で休んで居眠りをしたが、亀は確かに足が遅いが、しかし一歩一歩あきらめずに歩いて行った。その結果、亀がウサギを追い抜かして競争に勝ったという話である。この場合、亀は競争において弱者であると捉えられる。ただ、それでも挫けずに勝とうとする意志をもって歩いたことで、最終的にウサギに勝てた。それと同様に、障害を持った人は社会的な影響力が低いかもしれないが、それでも自らの力で努力を続けようとする、志操堅固であることで結果的に大きなことを成すことができる。



 障害を持つ人に対して、支援すべきか否かの判断は難しい。どちらかをとればどちらかが失われる、両立の難しいものであるからだ。しかし、「物事の価値は姿勢次第で大きく変わる」という哲学者のルドルフ・シュタイナーの言葉がある。確かに、実際にどちらを選ぶかは難しい選択だ。しかし、それよりも大切なのは皆をできる限り対等に扱ったり、できる限り対等に考えたりすることである。ローズマリ・サトクリフの著書である小説・「銀の枝」には「『自由になったほうがいいんじゃないのかい?』『自由ですって? わたしは奴隷に生まれました。奴隷の息子なんです。自由というのは、ご主人さまがないということ、それに腹がすいているというほかにどんな意味があるんでしょうか?』」という応答がある。そのように、何が「よいこと」かはその対象とする人の立場によって大きく異なる。だからこそ、何を与えるかではなく、どう向き合うかが最も大切である。