鮒のフナッチー
小5 あかたよ(akatayo)
2025年7月1日
鮒のフナッチー
「はい、餌だよ」
ぼくは水槽の前で鮒のフナッチーに餌をあげようとした。フナッチーは餌を持っている僕を見た瞬間、スイスイと急いでぼくに近寄ってきた。これこそ阿吽の呼吸だ。僕が飼っているフナッチーは、3年前に近所の沼で捕まえた小さな魚だ。図鑑で調べたら鮒の仲間だった。他にも、2年前に堀で捕まえたザリガニを飼っている。ぼくは今まで飼った生き物は、メダカや金魚、ウーパールーパーなど沢山いたが、残念ながら早くに死んでしまった。でもフナッチーとザリガニは長生きしてくれて嬉しい。このまま長生きしてくれたら、もっと嬉しいので大事に世話している。
世話の中で大変なことは、水交換だ。カルキ抜きした水を2週間に一回交換する。交換する時、ピチピチはねて逃げ出そうとすフナッチーを、ぼくは網を素早く振りかざし、サッと捕まえる。フナッチーは「あー、捕まったー」と残念そうな目で僕を見つめる。ぼくは「水槽を綺麗にしてあげるよ」とフナッチーに伝えながら代替の水槽の入れると、フナッチーは安心して泳ぎ始める。水槽の汚れをスポンジでゴシゴシこすりながら磨くと、ピカピカ水槽に大変身。それから綺麗になった水槽にフナッチーを戻してあげると、ニコニコしながら悠々と泳ぎ始める。一緒に戻したタニシと水の中で何を話ているのかと思うと、見ていて楽しくなる。人間と魚、タニシとは言葉は通じないけど、心が通い合っているとぼくは信じている。
お母さんは小さい頃、犬を飼っていたそうだ。犬は人間の言葉をとてもよく理解していて、とても賢い動物だと教えてくれた。例えば、「お散歩に行こう」というと、犬はリードを持って玄関に座って待っているそうだ。それに、犬は飼い主が大好きでいつもそばにいるから、飼い主と犬との信頼関係は日ごとに深まるそうだ。ぼくはまるで家族のようだと思った。それからぼくは、小さい頃に読んだ絵本「ハチ公」を思い出した。亡くなったご主人様を渋谷駅に毎日お迎えに行く秋田犬ハチの話だ。遠く離れた場所に連れて行かれても元の家に戻ってきてしまうし、ご主人様が居なくても毎日決まった時間に欠かさず渋谷駅にお迎えに行くのは、きっとご主人さまが大好きだったのに違いない。ハチ公のようにフナッチーも僕のことを好きになってくれると嬉しい。
ぼくは生き物を飼うことを通して、命の尊さを教えてもらっている。餌をあげることや生活環境を整えてあげること等に最善を尽くしても、死んでしまう時がある。生きていれば必ずいつかは死ぬとわかっていても、悲しくて目から涙がポロポロ零れ落ちる。その命の代わりに、ぼくは精一杯生きようと思う。長く一緒に居てくれる生き物達は、一人っ子の僕からすると、兄弟や家族が増えた様に思えて心強い。だからずっと大切にしたい宝物だ。「僕が20歳になったら一緒に成人式のお祝いをしてね」未来の希望をフナッチーに伝えながら、ぼくはパラパラと餌をあげた。