最近といっても
中3 まさゆき(akiroma)
2025年7月2日
日本人が金曜の夜などに番組が終わるとき「では皆さん、よい週末をお過ごしください」といったあいさつをするようになったが、一昔前だったらだれも言わなかった。このようなことが起きているのは、海外との接触が飛躍的に増えた結果、Have a nice weekend(holiday)! のような、休みを前にしてのあちらの人々のあいさつの習慣を、取り入れたことによって起こった言語表現上の変化なのである。欧米の文化や風俗習慣は、多くの日本人の生き方の目標や憧れの対象である。よって、いま日本語は、日本の国際化という大変動の中で、外国語、特に英語という強大な言語からの広汎で、しかもほとんど一方的な干渉にさらされている。そこで私は、外国語などに干渉されてでも異文化に対する憧れや自己顕示欲、そしてその文化や言語への接近をすることは良いと思う。
一つ目の理由として、他国のものを受け入れていかないと今の日本社会ではうまくいかないから。いままで日本は、他国からの輸入や技術の伝授によって発展してきていて、まだ今もその状態でもある。例えば、今暮らしで欠かせないスマホはフィンランドにある本社によってはじめてつくられた。もし今日本にスマホが無ければ、今の日本での生活は不便になっていただろう。また、最近だけでなく古代末期から中世にかけて陶磁器が増え、宋銭をはじめとする中国の銅貨も輸入されて日本で通貨として用いられた。このような通貨が無かったとしたら、いまだに物々交換の時代だったかもしれない。
二つ目の理由は、他国のものを入れてかないと、新しい発見や技術の成長がなくなってしまうから。木が無ければ紙ができないと同じで、新しい何かになる源のようなものがなければ、新しい発見をすることができない。紙の例だけでなく、生糸というものが無ければ、服や布団をつくることは可能では無かった。これらは日本の例ではないが、日本の例で言うとごはんを食べる時のお箸である。お箸は木からできているものの、実際に発明されたのは日本である。他にも同じようなことを今まで日本でもしてきた。このようにほかの国のものをどんどん取り込んでいって、そこから新しいものを作っていくのが大切なのだ。
確かに貿易をあまりしていなかった江戸時代などでも日本の暮らしができていた。私は、江戸時代について詳しくはないが分からないが、歴史とかで習った限り、今の日本に比べてかなり技術が劣っていたと思うその理由として江戸時代は、鎖国状態だったため「井の中の蛙」というようにもっと広くて、知識豊富な世界があることを知らなかったのだ。これをつづけていたら日本は、今のような便利な社会になっていなかったと思う。今までいろいろなものを受け入れることによって、今の便利な社会になっているからこそ、異文化に対する憧れや自己顕示欲、そしてその文化や言語への接近をすることは良いと思い、またそのようなことが新たな技術の発達やよりよい日本社会に繋がっていくと私は考える。