自分なりに変化させる
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テレビアニメ「それいけアンパンマン」はまるで、水戸黄門のようなワンパターンを繰り返している。それには問題を根っこから解決しようといった場面はない。これはさまざまなアニメに通じることであり、人と人がじっくり向き合い、どうすれば問題が解決するのか掘り下げて考える場面が出てこない。少なくなる子供の体験の場ではなく、短絡的なパターンの長寿番組になっている。私たちは、問題の複雑さを考える体験を持つべきだ。 

 そのための第一の方法は、与えられたお手本通りに考える姿勢を見直すことだ。現代社会では、決められた型にはまるよりも、状況に応じて柔軟に考え、周囲と調和しながら最適な行動を選ぶ力が求められている。ただし、基本的な型を身につけること自体は重要だ。型を知らずに自分らしさだけを主張しても、本質から外れてしまう恐れがある。型とはあくまで基礎であり、それをなぞるだけでは本当の意味で活用しているとは言えない。大切なのは、型の意図や構造を理解し、それをどう応用すれば効果的になるかを自ら考える力である。場面によっては形式そのものを工夫して変える必要があるし、逆に型の中で表現を洗練させることが求められることもある。そのときに必要なのは、自分に求められていることを見極め、最もふさわしい形を選び取る力だ。つまり、これからの時代に必要なのは、正解を暗記して答える力ではなく、変化を読み取り、その場で最適な判断と行動ができる力である。その力を育てるには、まず型を鵜呑みにせず、自分の頭で考え、主体的に動こうとする姿勢が求められる。こうして初めて、知識の暗記を超えた、本質的な学びと成長が始まる。例えば、数学のテストで習っていないから解けないと言う人がいる。しかし実際は、習った内容を応用すれば解ける問題も多い。これは、単に知識をなぞるのではなく、それを応用しようとする姿勢が問われている例である。

第二の方法は、さまざまな世代が関われる環境を整えることだ。これは、世代間の知識や価値観の違いを乗り越え、互いに学び合える社会を築くために重要である。現代は変化が激しく、世代ごとにものの見方が大きく異なる。そのような中、あえて交流の場を設け、世代を超えて関わり合うことが求められている。ただし、単に場を設けるだけでは不十分だ。誰もが安心して参加でき、共通の関心を持てるような工夫が必要である。また、その場で役割を固定してしまうと上下関係が生まれ、対等な対話が成立しなくなる。年長者が教える側、若者が受け身という構図では、多様な意見や経験が活かされない。本来、世代の違いは優劣ではなく、異なる視点や知識の源である。だからこそ、形式にとらわれず、誰もが自然に声を出せるような場づくりが必要なのだ。たとえば年齢に関係なく対等に語り合える雰囲気を大切にしたり、異なる経験を持つ人同士が共に活動できる仕組みを整えることで、交流はより実りあるものになる。実際、近年では20代が社長を務める会社も珍しくない。このような関係性は、年齢にとらわれない新たな価値の創出にもつながる。さらに、こうした取り組みを一時的なものにせず、日常に根づかせるには、制度や意識の両面から支えていくことが重要だ。地域や学校、職場など、あらゆる場で世代を超えた対話が当たり前になる社会が望まれる。僕自身、先生と生徒という上下関係が対話を妨げていると感じた経験がある。先生も人間であり、間違いや知らないことはある。生徒から学べることも多いはずだ。にもかかわらず、先生が教える側という意識が、互いの学びの機会を失わせているのではないか。世代を超えて自然に関われる環境づくりは、社会全体の持続可能性を高める。異なる立場を理解し合い、知恵を分かち合うことで、これからの社会はより豊かで強くなっていくはずである。

  確かに、手本があれば、大胆な解決は図ることができる。しかし、「誰かの答えをなぞるのではなく、自らの問いを持つ者こそが、真に学ぶ者である。」というように、型に従うのではなく、自分なりに問題に向き合い、考える姿勢を持つべきだ。