大掃除と机(清書)
小6 たくみ(nomutaku)
2025年7月4日
昨晩母が苦労して片づけたおかげで、かなり快適そうな子供部屋になっていた。しかし、机の上がキレイなのもわざとらしい。だが、机の引き出しを開けてみると、昨日捨てていなかった小物類がごちゃごちゃ入っていた。先生は私の机の上を見て、「お、机の上もきれいになっているね。だけど引き出しはどうかな」と言って引き出しを開けた。
家は、僕のスペースがあるが、そのスペースの机がいつも物がぎっしりと山のようにのっかていて、取り返しのつかないことになってしまっている。それで、いつも無精で、整理整頓せずにそのままになってしまうことが多い。他にも、そのものをどこに置くかを決めておらず、片づけても、整理ができていないために、整頓し手も、結局は持ち場をなくしたものがまた机にどしどしのっていってしまう。母親によると、実は父親が机の上にものを置いて行ってしまっているということがあるのだそうだ。さらに、僕のうちでは母親以外はみんな整理整頓が得意ではないので、いつも母親が片付けている。僕が思うには、自分が一番整理整頓が苦手だと思っている。でも、母親によると、父も僕に劣らず、整理整頓が苦手なのだそうだ。僕も片付けをしたことはあるけど、母親に怒られてからすることがほとんどなのである。それで、ものが埋もれることまである。さらに、教科書によると、ものが多いと脳に与えられる刺激が大きいため、物が少数(例えば3個)しかない部屋にいる人は、例えば10分が短く感じる。逆に、物が多数(例えば10個)ある部屋にいる人のほうが、例えば10分が長く感じるらしい。整理整頓をするのが無精で、どんどん汚くなる様子はまるで、書くべき書類を後回しにして、結局どんどんたまっていくばかりのときみたいだと思った。でも、片付けばかりのときは、何かがやっと完成したみたいに気持ちがよくなるとも思った。
おばあちゃんが子供のころの大掃除は、小学3年生のころまでは子供たちはじゃまだから遊びに行かせて、その間に掃除を済ませてしまうのだそうだ。そのころの家は今とは違って、家の部屋中に畳が敷いてあって、その畳を外に出して干すのだそうだ。それで、夕方になったら竹竿でほこりを払って、それで家の中に入れた後、雑巾で拭き掃除をするのだそうだ。また、竹竿に竹の葉をつけて、それで天井をふいたりするのだそうだ。もし僕が掃除をする前に遊びに行けと言われたら、どっかに隠れて透明人間のようにこっそりと掃除の様子を見ているかもしれないと思った。また、見つかって手伝えと言われたら、口笛を吹きながら畳の上を拭き掃除しているかもしれないとも思った。
僕は、いくら何でも机をきれいにするために上にあったものを整理することを無精で、それをせずにみんな引き出しにしまっておくのはかなり大胆なことで、しかもやりすぎだと思った。なぜなら、開けたときに中のものが爆発して部屋の中がさっきよりもひどく散らかって一からやり直しになると思った。また、掃除とは人間にとって、気分を良くし、快適に過ごすため、さらに、心もきれいにするために最低限やるべきことだ。さらに、排泄は、人間の体を勝手にきれいにしてくれる働きのようなものなのだが、机は勝手にきれいになるなんてことはないので、やはり自分たちの手で整理整頓をしなくてはいけない。また、塵も積もれば山となるのように、少しだからいいやと思ってどんどん乗っけていくと、いずれ逆戻りしてしまうとも思った。僕は、せっかくきれいにした机が、1週間くらい経ってまたものが山積みになって、「あーあ」と声を上げた。