自分なりに考える
   中1 みお(aemio)  2025年7月2日

  ある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中にあらゆる変化が起こると知られている。この変化は、単に自分たちの言語に不足する語彙を補うことによっておこるものではない。そこには、異文化に対する憧れや自己顕示欲、そしてその文化や言語への接近同化の願望といった、多くの要因がからんでいるからである。しかし、日本はなにもかも西洋式にしたのではなく、公的の場では西洋式、家庭に戻ると日本式のように内と外を区別する生活様式にしたのである。これを可能にした要因の一つが、高度の文化文明を簡潔に表現する力をすでに持っていた漢字があったことにある。新たな物事は、自分に合うように消化し、取り入れるべきだ。その理由は二つある。

 第一の理由として、国単位でも、一人ひとりの個人単位でも、もともとの物事をそのまんま、まったく変えずに取り入れてしまったら、自分の意見や個性が失われてしまうからである。私は、学校や塾の課題を、すぐにだれかに「見せて」というのではなく、まずは自分の頭で考えるようにしている。難しかったり、意味が分からなかったりするときもあるけれど、そのとき投げ出してしまったら次もできず、ずっと悪順環になってしまうからだ。考えてもわからなかったらだれかに聞くしかないが、そのときに文章や言葉をそっくりそのまま写すと、少しでも自分の考えが思いついていたときにそれがすべて消えてしまう。だから、教えてもらったことを自分なりに整理し、自分の考えに結び付けることが重要だと思う。また、明治時代には海外に追いつこうとしすぎて外国の政策方針を無理やり取り入れ、一揆がおきたこともある。もともと農業を国土の各地で営んでいて、農民が多かった日本だが、西洋の国々を目指して「富国強兵」という目標をかかげた。そして、兵役の義務を負わなければならない「徴兵令」が公布されたことによって、働き手を奪われることを不満に思った農民たちが一揆をおこした。今までの生活にあっていない政策をとってしまうとやはりよくないのだと感じた。だから、新しいことは今までの暮らし方や考え方とつなげて取り入れなければならないと思った。

 第二の理由として、新しいことを取り入れることで、自分の意見がさらに良く、また過ごしやすい生活に進化することができるからだ。私の学校の社会の授業では個人個人でプレゼンする場合でも、プレゼンが近づくと必ずグループでの話し合いがある。話し合いでは、自分が作成した資料を基に簡単に説明したあと、聞いていた人から意見をもらうという活動をしている。自分の意見はさらによいものになり、意見をくれた人は物事の判断力や、考察力を高めることができると思う。体験したことのないことは自分一人では難しいかもしれないから、他の人の力を双方にとってプラスになるように使うことが大切なのだと感じた。

 確かに、新たな物事はそのままの状態で、変えずに取り入れたほうが簡単だ。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言がある。この名言のように、もとの物事をそのまま取り入れてもそれは自分のものではなくただ「人の物」を借りているだけだ。だから、自分で取り入れた情報や内容を整理し、自分の今までの考え方や生活の仕方に合うように採用することが大切だと思う。そしてこれは個性が消えてしまうということを防ぐだけでなく新しいことに対しての、「慣れ」の部分でも重要になってくることだと思う。私はこれから、新たな物事があらわれてどう処理したらいいのかわからなくなってしまうこともあるかもしれない。しかし、そのときは「自分」を考え直し、自分にちょうど良い取り入れ方をしたいと思う。