競争そうそう
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 大会、競技会、受験戦争。今の世の中には競争がたくさんある。特に私は今受験戦争の真っ最中である。3年生となった今、「最後の」大会を終える友達をたくさん見ている。全員がその大会を目標に頑張ってきていた。これは、大会が、競争があるからこその青春だと私は思う。最近では競争を減らしていくという考えも耳にする。確かに行きすぎた競争は悪影響だろう。ただ、競争が私たちに与えてくれる影響はとても大きい。その競争心を見失ってはいけないと思うのだ。もし、競争心を手放してしまう未来が来てしまうのなら、日本は衰退していってしまうのではないだろうか。

 対策の仕方として挙げられるのは、過度な競争心は抑えていくということだろう。切磋琢磨という言葉もある。他者と比較し、自分の相対的な立ち位置を把握し目標に向かって努力する。この流れはまさに理想である。ただ、誰かと比べることばかりに気を取られてしまっては本来の目標を見誤ってしまうし、その誰かに勝った時点で成長が止まってしまう。誰かと比較することも大切だが、それで終わりではなく、その上で今の自分にはどれくらいの努力が必要なのかを考えることが重要なのである。水泳でもそうだ。誰かを抜かしたいと、そう思うことは決して間違ってはいない。ただ、そればかり見ていては余計な焦りも出てくるし、たとえその人を超えたとして大会で勝てる保証はない。比較した上で自分の立てた目標に対しての努力を重ねるべきだろう。

 先程とは逆で、今度は競争心を持つべきだという対策で書いていこう。過度な競争心を捨てた結果、日本はゆとり教育に突入してしまった。これはかえって学力の低下につながってしまった。誰とも比べることのない、仲良しこよしでも本人たちはいいのかもしれない。ただ、大きなまとまりとしてみた時、その集団は競争を取り入れた集団より劣ってしまう。自分の泳ぎを、動きを研究することは大切だし、それをしなければ速くなるものもならないのは事実だ。しかし、自分の世界だけで完結していてはより高みは目指せない。大会での順位や、隣のやつに食らいつこうとする意思。それが自分の記録を一歩先へ連れていってくれるのではないだろうか。私自身、練習中に「あの子に勝ちたい」「あと〇秒縮めれば、、!」と思った瞬間が何度もある。その気持ちがあったからこそ、部活にも休まず参加できたし、クラブも続けられたと思う。そして少しずつタイムを縮めることができた。競争は時に苦しさを伴うが、それ以上に私たちに前へ進む力を与えてくれるものだと思うのだ。

 たしかに、こんなに細かく言われては、結局は競争心持たないほうが平和だと思ってしまう人もいるだろう。ただ、お互いを高め合える仲間や、誰かと競い、一つの目標を目指して取り組むことは何にも変え難い経験になるはずだ。それを大切にしてほしいのだ。競争していくことは、楽なことではないしむしろしんどいことの方が多いと思う。理不尽な敗北を感じたり、伸びない自分に怒りを感じることだってある。しかし、目標のために自分がしてきた努力の時間はいつかきっと何かの役に立つ。運動に限らず、勉強だってそうだ。コツコツ続けることもそうだが、目標に対して努力する力、継続する力は競争によっても養われるだと私は考える。それを忘れずに、残りの高校生活を生きていこうと思う。