「絶対」を汚す現状
   小5 あけのの(akenono)  2025年7月3日

 アオムシは、すさまじい勢いで草を食べ、立派な糞をたくさんするというずいぶん効率の悪いことをしている。他の哺乳類たちは、草だけだと栄養も少なく、胃袋が重くなってしまうから、果実や種子、貯蔵根などを食べる。大きな哺乳類も、胃袋の構造からたくさんの栄養を取れるようになっている。しかし、アオムシはただひたすらに草を食べ続ける。しかし、それは幼虫時代だけのことで、大人(蝶)は胃袋が重くなると飛ぶことに影響してしまうので、消化のよく、胃袋にもたまりづらい蜜や樹液を吸う。昆虫の成功の秘訣は、大量にありながら人気のない草に目を付けたことである。

 私は、小学校三年生の時に地価の授業の一環でモンシロチョウを卵から飼っていたことがある。モンシロチョウが卵を産んでくれるよう草を育てるところから始まり、そこに産み付けられた卵を一人ずつ孵化させて、幼虫を育て、成虫にするというものだった。エサは、育てた葉をちぎってあげるのだが、私はすぐに食べてしまうと思い、幼虫の五倍くらいの量をあげた。しかし、次の日来てみると葉はかけらもなくなり、大量の糞が残っていた。たった一晩の間に自分の五倍もの葉を食べてしまったのだ。私は、どうして大量の草を食べ、大量の糞をするのか疑問に思った。そして、自分なりに考えた答えは「マグロが泳ぎ続けないと死んでしまうように、アオムシも食べ続けないと死んでしまうのか?」ということだ。実際、私は学校にいる間も葉を切らしたことがなかったので、その可能性は十分あると思った。そのうえ、絶対にそうだと思い正しい理由を調べなかったのだ。しかし、この長文を読み、本当の理由が分かって、前に考えた理由の矛盾点を冷静に考えることができた。それは、自分は葉を切らしたことがなくても、ほかの子のケースに葉が入っていたかったことがあるということだ。かなり単純だが、絶対に正しいと確信していた以上、冷静に考えられなかったのだ。この長文に書いてあることは、矛盾することがなく、私はかなり納得した。

 人間も、食べるものが「変わる」ほどではないが、ちいさい時に食べられなかったものが今は食べられる、という人は多いのではないか。例えば私も、幼稚園生、小学校低学年くらいの時はピーマンが苦手で食べられなかった。しかし、今ではそこまでまずいと思うことなく食べることができている。それは、人類の進化によるものだ。ピーマンは、苦い。苦みというものは、毒があることを知らせているサインなのだ。例えば、ゴーヤ。ゴーヤには毒が含まれており、大量に食べると体に不調が出る。他にも、苦いもの、主に野菜には毒があると進化の過程で分かるようになっており、だから苦い野菜は小さいころ食べられない子が多いのだ。しかし、大人になってくると、経験からその危機感がなくなっていき、苦みを「おいしい」と感じるようになる。つまり、経験により、感じる味が変わるのだ。

 アオムシは、羽化を節目に食事や方法を変える。人間は、進化により苦みを嫌うが、大人になるにつれ、経験により苦みを好むようになる人もいる。どちらにせよ、それは人工的なものではなく「自然」によるものだ。つまり、自然の力がなければ、アオムシたちはきっと絶滅していて、私たち人間は永遠に苦味を嫌うことになる。自然は「絶対」だ。それだけではない。他にも、自然の力に助けられていることは数えきれないほどたくさんある。自然は脅威ももたらすが、恵んでくれてもいるのだ。しかし、私たち人間はそんな自然を汚し続けている。それにより、異常気象がたくさん発生している。それは自然のせいではなく、人間のせいだと分かっていても、自然を汚してしまっているのが現状だ。私は、自然の雄大な力に感謝しながら、気遣っていきたいと思う。