これからの日本は
   社 らたよ(ratayo)  2025年7月4日

 現在、アジア諸国は急速な経済成長と近代化を進めている。ベトナムやインドネシア、インドなどでは、新たな産業が次々と生まれ、都市には高層ビルが立ち並び、人々の目には活気と希望が満ちている。一方で、日本は高度経済成長を経て成熟社会へと移行し、社会全体にある種の落ち着きが広がっている。また、効率や安定性が重視される一方で、若者の挑戦心や意欲が見えにくくなっているのが現状だ。日本に留学してきたアジアの学生たちが日本の大学生は遊んでばかりいると感じるのは、このような社会の温度差を敏感に感じ取っているからだろう。成長の真っ只中にある社会と、発展を一段落させた社会とでは、目に見えない熱量に違いが生じる。日本が今後どのようにして再び前に進んでいくかということが問題である。

 この問題の原因は、発展を終えたあとの社会が、自らの方向性を見失っていることにある。かつての日本は、高度経済成長という急性期のような時代を経て、世界有数の経済大国となった。しかしその後、少子高齢化や長引く経済の停滞を背景に、変化への意欲や社会を動かす力が徐々に失われていった。これは医療の現場にも似た構図がある。命を救う急性期病棟では、緊張感のある環境の中で、医療スタッフが絶えず判断と行動を繰り返している。一方、慢性期病棟では、比較的安定した状況のもとで日々の生活を支えることが中心となる。現在の日本社会は、この慢性期のように、日常を守ることに重きを置きすぎて、変化への対応力を弱めてしまっているように思える。実際、文部科学省の調査では、大学生の学習時間の減少傾向が報告されており、自発的に学び、成長しようとする風土が薄れているのが現実である。

 この問題を解決していくためには、社会に再び熱を取り戻すための環境づくりが必要だ。医療においても、急性期治療を終えた患者が元の生活を取り戻すためにはリハビリの期間が必要となる。リハビリは単なる回復ではなく、社会に再び関わるための再起動の時期でもある。日本社会も今、そうした再始動のタイミングにある。たとえば、教育の場では、知識を受け取るだけの講義型授業ではなく、課題を発見し、チームで協力しながら解決するような能動的学習、いわゆる課題解決型学習を取り入れることが重要だ。ある地方大学では、学生たちが地域医療の課題を調査し、実際に行政に改善案を提案する取り組みが行われている。こうした実践的な学びは、学生の中に自分が社会の一員であるという実感と責任感を育て、未来を担う力を引き出すことにつながっていると考える。

 たしかに熱は時間とともに消えるものだが、意志と工夫によって再び灯すことができる。未来とは、準備する者のほうが早く対処ができる、というようにアジアの熱を外からながめるのではなく、それをきっかけに自らの在り方を問い直すことが、日本に求められている姿勢だ。すでに成熟したとされる日本社会も、実はまだ成長の余地を多く残している。今の日本は一休みの状態にある。しかし、そのまま停滞するのか、あるいは次の一歩を踏み出すのかは、私たち一人ひとりの意識と行動にかかっていると考える。日本が今後どのようにして再び前に進んでいくかということが問題である。