叡智ノ彩
高2 わのき(wanoki)
2025年7月4日
専門的な知識しかなく、専門外のことになると何も分からない人が増えているのは問題だ。
そうなってしまっている一つ目の原因は、成果を求める社会の風潮である。おそらく多くの学生は、自分の成績表を気にしている。少なくとも私はそうだ。私は、カナダではハイスクールでの成績評価によって大学に合格できるかが左右されることを知っている。だから自分の成績表にわざわざ苦手科目を入れて悪い点数を入れたくないのだ。元々あまり得意ではなかった科目がどんどん難しくなっていくと聞くと、そんな教科を取りたくなくなるのも当然ではないだろうか。ただでさえ高かったハードルがさらに高くなり、苦手教科を敬遠するようになっていく。私のように、進みが速すぎて置いて行かれたタイプの人間は、その科目の楽しさを知っているのに悪い成績を出すのが怖くて下手にその教科に手を出せないという状況もあり得る。私個人としては、もし期限などなく、無制限に質問をしても良いならば、喜んで科学を学んでみたいと思う。知識への興味は留まらないものの、将来社会に出た時のことを考えてしまうとどうしても手が出せなくなるということだ。そのため、この結果主義の社会に問題がある。逆に将来性を考えたために専門的になりすぎてしまった人もいるだろう。実に皮肉なことである。
この原因の対策として、学校などで様々な「学び方」を学ぶことができれば良いと思う。学び方を学ぶことで、自分に合った学び方、勉強の仕方を見つけることができ、学びの質が向上する。それにより、成績も上がり、学生らの悩みも少しは解消されるかもしれない。今更社会の結果主義の風潮を崩すことも難しいことだろう。この「学び方を学ぶ」という対策を思いついた所以は、私の経験談にある。カナダでの学校、少なくとも私の学校では、先生たちの教え方が各々で異なることが多い。先生によってクラスのルールが違い、使う教材も多種多様である。特に、私の化学の先生と数学の先生の違いは大きかった。化学の先生はかなり教科書、プリント、ワークブックに教える内容を頼っていて、自習の時間が多かった。かたや数学の先生は、プリントは出しながらも、生徒たちに一度解かせ、その後一緒に解きながら分からないところがあれば聞くという驚くほどシンプルな授業構成だった。化学の先生は自習が多い分テストは小テスト、章末テストと最終試験のみであったが、数学の先生は点数がカウントされない小テストを二日おきくらいにポンポンと出し、自分の躓いている部分を再確認させてくれた。そのおかげで私は数学で好成績を残すことができた。私個人のバイアスがかかっているせいで少し化学の先生が悪いように聞こえるかもしれないがそんなことはない。偶々私が自分の躓いている部分が分かる小テスト型を好んだだけであり、人によっては自習が一番捗る勉強法なこともある。人によって合う勉強法や学び方は違ってくるため、学校で学び方を教えることで勉強への苦手意識も減り、より効率的に学ぶことができるのではなかろうか。
確かに、専門的な知識を持っていることで、役に立つこともたくさんある。しかし、人の知識や思考は単色ではなく、グラデーションである。一つのことだけに限らず、たくさんの知識をつけることで、思考は鮮やかになっていくものだ。私も、今は専門的な道を辿りつつあるが、その最中でもたくさんの知識を自分の力で増やしていきたい。