過去の自分と比較する
高1 ヨーヨ(waoho)
2025年8月1日
バルカン紛争は歴史的宿命ではなく、現在の政治が過去を操作して生じた。クロアチア人とセルビア人の差は小さいが、宗教や歴史の違いが誇張され、憎悪が煽られた。政治家は互いを悪魔化する虚構を流布し、民衆も虚偽と知りつつそれに乗せられ、長く続いた民族共生は崩壊、殺戮へと至った。私たちは、相手との比較によって自己確認をするべきではない。
そのために考えられる方法として第一に、自分に自信の持てることを見つけることだ。しかしながら、人はどうしてもしばしば他人と自分を比較してしまう。しかし、それは必ずしも自分を正しく評価する方法ではないと思う。なぜなら、比較は多くの場合、劣等感や焦りを生み出し、自分本来の価値を見失わせるからだ。僕も、いろいろなことについて人と比較してしまいがちだ。成績に関しては、偏差値の順位や点数、スポーツであれば勝ち負けといったことはどうしても比べて一喜一憂してしまうことがある。
そこで大切なのは、他人との比較ではなく、自分自身にしかない特技などの自信を持てることを見つけることだ。例えば、自分の好きなことについて語るというのも立派なことである。このようなことで最も大切なのは、何かに挑戦してみるという勇気を振り絞ってみることだ。その経験により、「自分でもできた」という自信につながっていくからである。そのような自信は成績や数字では測れないものだ。比較による自己確認は、一時的な安心感しか与えてくれないが、自分の得意分野や好きなことを深める努力は、ゆるぎない自己肯定感を築いてくれる。他人の存在や成果から学ぶことは大切だ。しかし、基準を常に外に置いてしまえば、いつまでも他人の影を追い続けることになる。したがって、僕たちは相手との比較に依存するのではなく、自分の内側から価値を見いだし、それを育てる努力を重ねるべきだ。その積み重ねこそが、長く心を支え続ける本当の自信になるのである。
第二の方法として、敵を想定しなくても済むように国の内側を安定させることだ。国の安定とは、単に経済が成長していることだけを意味しないと思う。人々の生活が保障され、社会の仕組みが公平に機能し、誰もが将来に希望を持てる状態を指すのではないか。もし国内の貧富の差が大きく、特定の人々だけが恩恵を受ける社会であれば、不満や不信感が蓄積し、やがて内部から分裂が始まってしまう。僕は、歴史的にも経済格差や社会的不平等が国内紛争や暴動を引き起こした事例が多いと思う。例えば、2019年に香港で起きた大規模な抗議デモはかなり問題になった。きっかけは「逃亡犯条例」改正案への反発だったが、その背景には若者の失業、住宅価格の高騰、将来への不安など、長年蓄積してきた社会的な不満があった。香港は経済的に発展していたが、その恩恵を受けられるのは一部の層に限られており、多くの市民が生活に行き詰まりを感じていた。結果として、街は混乱し、国際的な信用も揺らいだ。外部の脅威への備えをしていても、国内の不安定さが表面化すれば、社会は容易に崩れてしまうのだ。そんな中で。内側を安定させるためには、教育や医療、福祉を充実させることが不可欠だ。人々が安心して学び、働き、生活できれば、社会全体に信頼が生まれ、外部の脅威を過剰に恐れる必要がなくなる。また、異なる立場や価値観を持つ人々が対話し、互いに理解し合える社会を築くことも重要だ。そうした土台があってこそ、国家は揺るぎない強さを保てる。すなわち、私たちは外の敵を想定するよりもまず、国の内側を安定させることに力を注ぐべきだ。それこそが、真に安心できる社会をつくるための道なのではないか。
確かに、相手との違いで自分を見つめることは大切だ。しかし、「自分を探すなら、人の影ではなく、自分の足跡をたどれ」というように、比較の対象を人ではなく自分にすることが大切なのではないか。