新しい日本の言葉
中2 すみひな(sumihina)
2025年8月1日
最近、私は国語の問題集を解いた際に「ら抜き言葉」への過剰な注目に対し、国語審議会の委員たちが不満を示している、という文章があったのを見かけた。本来の議論は敬語や方言、国際化など様々な分野にわたるが、世間の受け止め方は「ら抜き言葉」に集中しすぎているというのだ。そもそも、若者の言葉の変化や地域による言葉の違いがある。また、言葉の変化をどう受け止めるかについて、一般の人と公的な立場の人の考え方には違いがあり、価値観の対立も多く見られる。審議会はあくまで目安を示す存在だと考えた方が良いと私は思う。
しかし、古いものも大切だという考え方がある。いくら時代が変わるといっても、言葉の根本的な意味や使い方がひっくり返るように変わってしまうわけではない。文化だって一朝一夕にできあがるわけではない。現代では、古いものは「使いやすいが格好が悪いもの」新しいものは「使いにくいがかっこいいもの」として若者たちの間で認識されている。昔話の「桃太郎」ではおじいさんとおばあさんが昔からの知恵や宝物(きび団子)を分け与え、それが鬼退治をするための鍵につながる場面がある。このようなことが、古くから受け継がれたものの価値を示しているのだろう。古くても、良いものは守っていかなければならない。
一方、新しい言語やモノが出てくるのは当たり前のことだという考え方もある。私たちが今生きている21世紀は、新しい技術や文化がどんどん生まれている。すると、それに合った言葉やモノも自然に生まれてくるのだ。例えば、スマホは今から10年ほど前に日本に普及したものだが、「スクショ」「グループ」などの言葉は高齢者の方が聞いてもほとんどわからないものがある。私の祖母は、LINEで写真を送る方法が分からず、私の親に聞いていたことが何度かあった。また、LINEはサービスを開始してからわずか2年で利用者数が2000万人を超え、今では1億人が利用していることがわかっている。時代は新しいものを生み出していく。それに適応する力がなければ一人になってしまうだろう。「流行」を気にしないという人がいるが、それは本当にできるのかと疑問に思ってしまう。
確かに、新しい言語は時代によって変わるものを表現するために必要であり、古い言語はこれまでの文化を伝えていくことができるので必要だ。しかし、一番大切なのは、どちらを使えばよいかということではなく、本当の正しい日本語の使い方を知ることだ。時代が変わっていっても、言語において変わるのは枝葉の部分であり、幹は変わっていない。そうはいっても私自身は「脱皮できないヘビは滅びる」という名言があるように、これは人間や社会にも当てはまり、時代や環境に応じて自分を変化させることが必要だということを示していると私は思う。私自身も、将来新しい言葉についていけない時が来るかもしれない。そのとき、若い人の言葉を否定せず、理解しようとする姿勢を持ちたいと思っている。