バルカンの歴史は(感)
高1 あおにま(aonima)
2025年8月1日
かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなる。そこで、双方の民族主義派の政治家たちは、「微差のナルシシズム」を利用し、とんでもない作り話をこしらえた。自分たちはなんの非もない犠牲者であり、相手側は民族虐殺の殺人鬼(き)だというのである。民族共生の平和はなぜ崩れたか――不倶戴天の敵同士ですら、この問いには、いまもなお、満足には答えられずにいるのである。私たちは、相手との比較によって自己確認をすべきではない。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法としては、自分に自信の持てることを見つけることだ。自分に自信を持つということは誰かと自分を比較して自分の方が優っているということを決めるのではなく、自分の中でプライドというものを持つことだと思う。他人と比較して自分が優っていていることを確認してもただその時だけ喜びが感じられるが、同時に比較された相手に傷がついてしまうかもしれない。これはまだ自信を持っているとは言い切れない。自信を持つということは自分が他人と比較しなくても大丈夫と心の中で思っていることだと思う。これだと誰も傷つけなくて済む。
第二の方法としては、敵を想定しなくても済むように国の内側を安定させることだ。最近、国内に重大な問題が発生した時、政府は外国に敵を作り、国民の視線を国内の重大な問題から外そうとしている。歴史的、現代的でも、政府は国内で貯まっている不満を外国にぶつけるためにこのような政策を行なっていると思う。しかし、そのような方法で危機から逃れようとするのではなく、きちんと目を向けて一つひとつ解決していく必要がある。だから、現代で必要なのは、悪を倒すのではなく、なぜ悪が発生したのかや経緯を考えることだと思う。
確かに、相手との違いで自分を見つめることは大切だ。しかし、人の目ばかり追う者は、自分の影すら見えなくなるのように、相手と比べて或いは相手を攻撃して自分を安心させるような自己確認の方法は不毛である。