弱者への向き合い方
中2 あきかは(akikaha)
2025年7月3日
アメリカのユージーンは、障害者と自然に向き合う街である。アパートを借りるときの管理人はの態度は、「障害者に理解を示す」というより、極めてビジネスライクな対応だった。また、イギリスの児童文学作家、ローズマリ・サトクリフは、自分の責任で苦境に直面することを、「傷つけられる権利」と呼んだ。私たち人間には誰しも、他人よりも弱い部分があり、他人に助けてもらう必要のある場面が出てくる。例えば、私はまだ、中学二年生という子供で、家族、友達、先生などに助けてもらうことが今まで何度もある。反対に、子供としては大きい方なので、一人前にできることもいくつかあった。
弱者には手を差し伸べていくべきだ。私には弟がいるのだが、その弟とは7歳も離れている。私目線で考えると、7年分も生きている時間が違う弟は、頼りなく感じたり、心配になったりしてしまうことが多い。そのため、私が今までしてきた経験や、得てきた知識を使い、「差し伸べる」側に立っている。以前、弟が小学校一年生の漢字を覚えるために苦戦していたことがあった。完全に覚えるために、たくさん書くなどはしていたようだったが、それでも十分に定着していない様子があった。だから私は、その字の書き方だけではなく、何という言葉に使われている字なのか、どういった意味を主に持っているのかなども、補足して覚えるように教えた。そして現在、弟は小学校一年生の漢字を覚えきり、二年生の漢字に入り始めることができている。
しかし、弱者にも自らの力で成し遂げてもらうことも重要だ。日本には、生活保護を受けている人に対して、単なる金銭給付だけではなく、職業訓練や就労支援を行ってもらうという制度がある。金銭面での支援だけではなかなか自立を促すことができない。そのため、自らの力で収入を得るという経験をしておくことで、自己肯定感や社会への参加意識を高めるという狙いのもと、この制度が進められた。つまり、「金銭」という、結果のみを与えるのではなく、「働く」という、金銭を得る過程ごと与えた方が、生活保護を受ける側の人にとっても、生活保護を受けさせる側にとってもプラスなのである。
確かに、弱者に手を差し伸べることも、自らの力で成し遂げてもらうことも、どちらにも良い面が存在する。しかし、最も大切なことは、自分よりも弱い部分を持っている人のことも、平等に見ることである。もし、強い立場の人が相手を下に見ていたら、優しさを持つことができず、手助けをすることも、自走させることもできないままになってしまう。「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある」という言葉があるように、強い人も弱い人も、様々な方法で支え合って生きていれば、皆がその価値を噛み締めていけるようになるのである。