そこをなんとかを読んで
   小5 あかたよ(akatayo)  2025年7月2日

 「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。日本人は外国人と違って、独特の判断領域を設定し、時と場合に応じて伸縮自在の形をとり、もっとも人間的な対応をする。また、日本の絵画の特質に「余白」の美があるが、余白とは画家と鑑賞者の共有の空間から生み出される、想像によってその価値を決めている。



ぼくにも、あいまいな対応をする時がある。食事中の「これどうぞ」と言われる時だ。ぼくは苦手な食事やお腹がいっぱいの時にすすめられたら、本当はいらないのに、はっきりと「NO」が言えなくて、あいまいに答えてしまう。すすめてくれた相手の気持ちを汲み取っているからだ。しかし、答えが自分の思った通りでない時は、「ぼくの気持ちを分かってくれ」と期待して怒ってしまう、よく深い自分を反省する。家族にははっきりと「ノー」が言えるのに、先生や友達の前では言えないことがある。きっと、こころの底では嫌われたくない自分がそうさせているのだろう。はっきりと言ってしまえば気持ちは楽だけど、人間関係が希薄になるのが怖いからだと思う。「あいまいさ」は相手の気持ちを考えながら想像するから、人間関係を深める方法だと思った。



僕は落語やマジックショーを披露することが得意だ。落語やマジックショーは間の取り方で、笑いが大きくも小さくもなる。会場が笑いで盛り上がる時は、上手な間がとれて一体感を感じた時だ。この「間」は、みんなの想像力を引き出す重要な役割をしているのだと思う。



ぼくはこの本を読んで、あいまいさや余白がとても大切なことだと気付いた。あいまいさはお互いを思いやる優しさを感じるし、余白は創造力を働かせるからだ。日本人らしさとは、こういった人間らしい心だと思った。だからと言って、全てをあいまいにしては困ることもある。だから、相手に全てを預けてしまうより、自分の意見を少し加えても良いと思う。ぼくは「間」について研究したくなったので、寄席に出かけることにした。