自然は、教師
中1 あきたい(akitai)
2025年8月1日
作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚では、捉えようもないものに思われることがある。私は音をつかって作曲をするのではない。私は音と協同するのだ。自然の記憶の層の遥かな連なりを見出すのは、私のような者には、とても容易なことではないが、せめて季節毎の変化の相、その推移を感じとれる感受性を身につけたい。それは、私に、音が語りかけてくる毀れやすい言葉の表情のいろいろを聴き逃がすことがないように働きかけてくれるだろう。作曲は音と人間との協同作業だと思うから、作曲家は音に傲慢であってはならないだろう。僕は自然から多くを学ぶべきだと思う。
第一の理由は、自然にからしか学べないものがあるからだ。僕の父は、最近元々温泉旅館だった土地を買った。そこは、大自然に恵まれていて、福岡の都市からも車で20分ほどの場所だ。父は、ヨガを教えているので、そこでヨガを教えようと思っているそうだ。なので今父は、そこをリフォームしている最中なのだ。時々僕は、そこに連れて行かれる。なぜかと言うとデジタルデトックスをするためだ。特に夏休みは、ゲームやスマホを触る時間が学期中より多いので、僕は電子機器から離れるためにそこの川で遊ぶように連れて行かれるのだ。すると最初は、南極のように寒い水が、入っていくにつれまるで温泉のように感じるためこれは、不思議だと思った。このような経験は、自然の中での体験でしか味わうことのできない体験だ。なので、僕は、自然にしか学べないことがあると思った。
第2の理由は、人間は自然から学んできたからだ。自然から多く学ぶと言っても原始人の周りには、自然しかなくそこから文明や機械を作っているので、何にしろどこかの段階で自然から学んで人間は進化してきたと思う。人間が、火を発見したのも自然でできた火を偶然見てそれを学んだからだ。そして、ライト兄弟の飛行機も鳥の羽をよく観察して作ったそうだ。このように人間は、さまざまなことを自然から学び、それを利用して進化してきた。
確かに、技術を向上させて生活を便利にすることも必要だ。しかし自然からしか発明や進化ができない学べないものがある。
「自然は最良の教師である」というレオナルドダヴィンチの名言があるように、自然からたくさんのことを学んだ方が良いのだ。