調和する
   中3 あおらは(aoraha)  2025年8月1日

 生き物のように焔をあげ、やがて燃え尽きて灰になっていくかつての火には霊的な声明を予感させる存在感があった。しかし、今では電気釜や電子レンジなどの機械類が普及し、かつての焔の周りに広がっていた闇のしじまは消え失せてしまった。火に備わっていた熱や光の属性を目的別、機能別に解体したことで今や人畜無害なミクロの火になってしまったのである。今や、現代の火は飼いならされたしもべであると同時に他方ではいつ暴走するか分からないダモクレスの剣となってしまったのである。私は文明が発明した機器に依存しすぎるのではなく、自らの頭で考え手と足で実践したい。

 第一の方法として、一度文明の危機から離れ自然と調和してみることだ。私は電車で出かけた帰りに電車賃が足りず、最寄り駅まで帰れなかったことがある。その時はいた駅と最寄り駅が近かったので歩いて帰ってきた。その時のことが私の考え方を大きく変えたように思う。最初は疲れと電車賃があるか確認しなかった自分への怒りで気分はあまりよくなかった。しかし、気持ちも落ち着き始めると次第に周りの自然のことに興味がわいてきた。改めて見ると空はこんな色をしているのかと思ったからだ。空に興味が行くと、動いている雲の大きさや色に目が行った。「あの雲綿あめみたいだな」と思ったとたんに、小さいころのことが思いだされた。そこからは、普段スマホを見ているせいで下を向きがちな視線が自然をとらえた。いつもしっかり見ているようで実は知らなかったことがたくさんあったのだ。ある研究によると自然の音、景色はリラックス効果、ストレス削減に効果があるらしい。これからは文明の危機に依存しすぎず、自然との調和の中で様々なことを経験したいと思う。

 第二の方法として、頭で考える勉強ばかりではなく、手と足、頭を使う体験をもっと学校で積極的に行うべきである。オーストラリアのある学校では二人一組になり、学校から支給された荷物のみを持って指定された場所まで野宿をしながら目指すプログラムがあるそうだ。このプラグラムは何か問題が起こってしまったときに冷静に対処する力や身の回りにあるものをうまく用いて不足するものを補う力も育むことができると思う。学校では、考える勉強を行うが、社会に出たら必要なのはできるかということではないのだろうか。

 確かに、文明の機器に頼る方が便利な時もあるだろう。頼らないのは、逆に危険を招いてしまうこともあるからだ。しかし、「行動するためには多くのことに無知でなければならない」という名言があるように文明の機器に依存しすぎることを無くし、無知の状態から自然と調和しながら生きていくことこそが大切だと思う。