一生懸命な家族
小6 あえさた(aesata)
2025年8月1日
「チーン。」
その音がした瞬間、僕の目が開いた。いつもの朝、台所から聞こえてくるトースターの音。続いてパンの焼ける香ばしいにおいがふすまのすき間から流れてくる。まだ体が眠っているけれど、心はもう動き出している。これは、僕の一日が始まる合図だ。
「焼けたよー!」
母の明るい声が家中に響く。兄はその声に少し遅れて、ゴソゴソとふとんの中で動き始める。父の部屋のドアはすでに開いていて、父のスーツ姿が見える。朝、七時くらいに仕事に出る父は、いつも早く起きて、すでに天気予報を見ながらお茶を飲んでいる。顔には「今日も頑張るぞ」という決意が見える。母がトーストを皿にのせる。僕と兄が並んで席につくと、トースターの音、母の足音――それらがまるで一つのリズムのように重なり合って、我が家の朝が完成する。
家族と暮らすということは、こういう「あたりまえ」に包まれることなのだと思う。でも、最近ふと考えたことがある。それは、うちの家族って、みんな性格がけっこう似てるんじゃないか?ということだ。 父はとても一生懸命な人だ。休日もぼーっとすることもたまにはあるが、自分の畑の手入れや飼っている生き物たちの世話、地域のボランティアなどを、次から次へとこなしていく。「のんびり」は父の辞書にはないのかもしれない。とにかく何事にも「せっかち」なほどに動いてしまうのだ。
一方で、母はそれとは少しちがうタイプだ。母も家のことをいつも一生懸命にやっているが、父のように急ぐのではなく、どこか落ち着いている。洗濯、料理、掃除、どれもていねいで、時間をかけてでもちゃんと仕上げることを大事にしているように見える。僕が忙しそうにしていると、「そんなに急がなくていいよ」と、ほほえみながら言ってくれる。
兄はというと、どちらかというと父に似ている。宿題や課題もすぐに終わらせたいタイプで、時間がかかることをいやがる。しかも負けずぎらいなので、自分より早く終わった人がいると悔しがる。口では文句を言いながらも、なんだかんだ手を抜かずにがんばるあたりは、やっぱり父の血を引いているのだと思う。そんな家族の姿を見ているうちに、ふと気づいた。
「みんな一生懸命だな。」
父は仕事をせっかちなくらいのスピードでこなし、母は家事をじっくりとていねいに、兄は勉強をまじめに。やり方はちがっても、全員が自分の役割に向き合っていて、毎日をちゃんと生きている。考えてみると、僕も最近、少し父に似てきた気がする。宿題をできるだけ朝早く片づけてしまいたいし、テスト前になると、「もう少し時間があれば…」と焦ることも多い。のんびりしているつもりでも、やっぱりせっかちなところが出てきてしまうのだ。でもそれは、悪いことではないのかもしれない。せっかちな父も、ていねいな母も、負けずぎらいな兄も、みんな自分のやり方で「一生懸命」を体現している。だから僕も、僕なりの「一生懸命」をこれから見つけていきたいと思う。
人間にとって家族とは、自分をありのままに受け入れてくれる存在だ。
学校や社会では、失敗したり弱いところを見せたりすることがこわいと感じる。でも家族の前では、不思議と自然体でいられる。唯一無二という四字熟語があるように自分の家族はこの世に一つしかない。だから僕は、家族に対しても自分に対しても、正直でありたいと思う。家族がいてくれるから私は自分らしく生きていけると思う。