母屋はもうひっそりと
小4 あえつな(aetuna)
2025年7月3日
母屋はもうひっそり寝静まっていた。牛小屋も静かだった静かだと言って牛は眠っているか目覚めているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていても静かなのだから。もっとも牛が目を覚ましていたって、火をつけるには結構さしつかえないわけだけれども。火花は飛んだが、火口が湿っているのか、ちっとも燃え上がらないのであった。巳之助は、火打というものは、あまり便利なものではないのだと知った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が目を覚ましてしますのである。「古くせーなー、いざという時に間に合わねえ・・・・・・・古くせーもな間に合わねえ・・・・・・」巳之助は今になって、自分の間違っていたことがはっきりとわかった。ランプはもはや古い道具になていたのである。電灯という新しい一そう便利な道具の世の中になたのである。世の中が進んで、古い商売がいらなくなれば、男らしく、すっぱりその商売は捨てて、世の中のためになる新しい商売に変わろうじゃないか。僕が一番すごいなーと思ったのは巳之助があれだけ怒って母屋を燃やそうとしていたのに、すぐに心をきれ変えられたことです。そしてこの長文の中は田舎だと思うから、都会から来ましたと言うと、「えっ本当かい」と言われそうです。なぜならこの時は移動手段が少なかっっただろうから僕はそう思いました。
僕は古くなったものを捨てたことがあります。それは靴です。僕が、「小さくなった靴をもう使えないから次のを買ってくれる?」と聞くと、「うん分かったからちょっと待ってね」と言って今もだけど愛情がこもった靴だと思って写真を撮ってからじゃないと捨てていません。
僕も今は電球やLEDそしてランプなどがあるのでそっちを使いたくなってしまします。
僕はこの長文を読んでまず母屋も大変な時はぐっすり眠るんだなと思いました。最後に人間は次の時代になったら前の時代に戻れなくなってしまうのだなと心の中でもいました。