自然があることのありがたさ
中1 すりりんご(akimano)
2025年8月1日
作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが自分の知力や感覚では捉えようもないものに思われる。作曲という仕事は、音を弄り過ぎて、その音が本来どこから来たかというような痕跡までも消し去ってしまう。時に「作曲家として」無力感に捉えられるのは、私がまだ協同者「音」の言葉をうまく話せないからだ。高見順賞を授賞された吉田加南子さんの受賞挨拶では、「私は空の言葉、海の言葉を話すことが出来ません。ですから、そのためにこそ詩を書いてゆかなければならない」と結んでいる。自然から学ぶことは余りにも多い。作曲は音と人間との共同作業(コラボレーション)だと思うから、作曲家は音に傲慢であってはならない。私たちは自然から多くのことを学ぶべきだ。
第一の理由は、自然がつくったものには良さがあるからだ。自然がつくったものの一つに旬というものがある。旬とは、その魚やくだものが出さかりとなるもっとも味のよい時期のことだ。夏の旬には、スイカ、カボチャ、トマト、シソ、レタスなどのものがある。旬の野菜には、それぞれの時期に役立つ栄養がたくさん入っている。夏は水分不足で熱中症になりかねない。スイカには、たくさんの水分が含まれている。冬の旬にミカンがある。冬は、風邪をひきやすい。ミカンには、風邪予防になる栄養素のビタミンCが多く含まれている。旬の食べ物は、時期と私たちの体の様子を比例して良くしてくれる。
第二の理由は、自然に囲まれることで、自分自身を見つめなおせるからだ。大きな自然の中に自分一人が足を入れると気分が入れ替わり、良い方向へと向かう。人間は、緑色に心が癒されることが多い。私は、パソコンを使い終わったときには、外の山を見て、休憩する。すると、目が痛まない。自然の中には、木や葉、草がある。木、葉、草の共通点は、全てに緑色が入っていることだ。自然には、人間を癒す緑色が入っているから、人間をおだやかに人間らしくしてくれるのだろう。また、人間を見つめなおしてくれることに、葉と葉が擦れる「かさかさ」という音がある。この音にも、人間を癒す成分が入っている。この音に人間は反応し、自分を見なおす。自然には、自分自身を見なおせる環境が整備されている。
確かに、技術を向上させて生活を便利にすることも必要だ。しかし、カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならないという名言があるように、何かをつくるときは、自然の中から学ぶ心を持ち続けることが大切だと思う。自然にしか、人の本心はあらわれない。だから、私たちは、自然からたくさんのことを学ぶべきだと思う。