花の絵を描き始める時(感想文)
   小5 あかすな(akasuna)  2025年8月2日

 花の絵を描き始める時、心は画用紙のように真っ白でありたいと思っている。同じ名前がついている花でもよく見ると、一つ一つが人間の顔が違うように、それぞれの表情を持っているからである。また、同じ花でも朝と昼ではほんのわずか色が変わっている場合が多い。頭のいい人もいれば悪い人もいる。美しい人も、病気の人も、健康な人も…、いろいろな人がいる。自分のわずかな秤で決めつけてしまうのは間違っていると思う。菊は比較的に長い期間咲いているが、人に菊の花をほめられている時期は本当にわずかだ。



 八月三日に「焼きそば」を母が作ってくれた。私は小さいころから焼きそばがあまり好きではなく、おいしくなさそうに小さいころから食べていた。だからこの日は、母に野菜とお肉を少なめに入れてほしいと頼んだもののあねとおなじりょうぐらいもりつけられた。しかし、八月三日に食べた焼きそばは、小さいころに食べた焼きそばよりおいしく感じた。

他にも、八月ごろから母が前の職場の人から「もも」をもらってきた。「もも」も、小さいころからあまり好きではない果物だった。だが食べてみるとおいしく、家に人は個あったモモがあっという間になくなってしまい、もっと「もも」を食べたいと今も思っている。大きくなってから食べた「焼きそば」や「もも」は小さいころに食べたものとはまるで比べ物にならないほどの別物のようにおいしかった。長文でも述べられているように、自分で決めつけてしまうのは間違っているとわたしは思う。



 食べもの以外にもある。それは、自分のクラスの先生のことだ。今は中学一年生だが、私の姉の担任を去年やっていた先生だ。あ姉からはあまり良くない印象を受けていた。だが、私にとってはぴったりのいい先生だった。

姉から聞いただけで思い込むのは良くないと意見を考え直してみた。これからもうわさで自分の意見を流されないようにしなければならないということが分かるようになれた。



 わたしはこの長文を読んでみて、自分の秤で決めつけるのは間違っているということが分かった。

私自身の経験からも、思い出やうわさで好き嫌いを判断してしまうのはいけないということが分かった。焼きそばやもも以外に嫌いな果物の、「メロン」や「スイカ」にもチャレンジしてみたいと思う。そのように考えた理由は、小さいころとは自分の味覚がだいぶ変わっていると思ったからだ。

私は、今日スイカをおいしそうに元気にたくさん食べている。