作曲に集中しているとき
中1 はななは(hananaha)
2025年8月1日
作曲に集中しているとき、不意に音楽というものが自分の知力や感覚などでは捉えようもない神秘的なものに思われることがある。音楽についてわかっていたような気がしていただけに、戸惑いや焦りの後の無力感に挫けそうになる。音が、あたかも生きたように表情を変えるのは至極単純だからである。つまり、音は生きものということになる。そして、個体を有さない自然のようなものだ。自然から学ぶことはあまりにも多い。作曲は音と人の共同作業だと思うから、作曲者は傲慢であってはならない。私は、自然からも多く学ぶべきだと思う。理由は二つある。
第一の理由は、自然のよさがたくさんあるからだ。例えば、エアコンの風と自然の風についてだ。最近の夏はとても暑くて、エアコンをつけてないと溶けてしまうぐらいだ。だから、私の家でもエアコンは毎日つけている。しかし、たまに自然の風が良いなと思うときがある。人工的なにおいが嫌だなと思うときもある。日中暑くても朝方や、夜中が涼しい日もある。もし、耐えられそうな暑さだったら、窓を開けて寝ようと思う。少し変わるが、海の話だ。海から塩ができる。例に挙げると、「天日塩」という塩がある。この塩は、太陽の光と風で水分を蒸発させて蒸発させて作られている。このように自然とかかわることでできているものがある。
第二の理由は、自分のことを謙虚に見つめ直せるからである。世界がどんどん進化していく中でも、「私達人間はすごい」と傲慢にならず謙虚にするべきだろう。私達人間も自然には勝つことができない。チャットGPTのようなAIを作れても、大地震を防ぐことはできない。ルンバのような、自動お掃除機を作れても大雨を防ぐことはできないのだ。だから、AIが作れるだけで傲慢になってはいけない。人間にでも勝てないものはある。だから、「私達人間はそこまですごくない。自然の方がすごい」と思うべきだ。
確かに、自分の技術を向上させることも必要だと思う。自然に任せきりではだめだ。しかし、「人間の知識は限られている。自然の前では、私たちはただ謙虚になるしかない。」というアインシュタインの名言もあるように、人間は謙虚であるべきだと思う。すこし変わるが、謙虚でない人は周りの人から嫌われてしまうだろう。少しでも、謙虚であると周りからも好かれるだろう。このように、謙虚でいるといいこともある。だから、これからも謙虚でありたいと思う。