「食べられる」か
中2 あえます(aemasu)
2025年8月1日
「ら抜き言葉」をめぐる楽幸判断自体が、国語問題の現状を反映していると見ることもできる。報告にもあるように、言葉遣いについて審議会は「ゆるやかな目安、よりどころ」を示すにとどまるべきだ、という立場をとっている。時代の変わり目で、私たちが言葉をどうしていくか、各自が考えていく必要があるということだ。
新しいものが出てくるのは当然である。最近の言葉はもともとあった言葉を短くして作った「タイパ」=タイムパフォーマンスや「ま?」=マジ?といった言葉があり、あるいは場面や状況が異なっていても臨機応変に使うことができる「ヤバい」や「あーね」などの言葉が生まれてきている。確かに、「ま?」まで短縮しすぎたり、もともとは泥棒同士の隠語だったりしたヤバいなどの言葉は若い世代の人しかわからない言葉かもしれない。しかし、「パソコン」=パーソナルコンピュータや「リハビリ」=リハビリテーションのように老若男女ともにわかるような言葉は広く使われるべきだと思う。
しかし、古い言葉を使うことも大切である。私が住む滋賀県にある瀬田川は「急がば回れ」ということわざの発祥地である。このことわざはもともと「武士の矢馳の船ははやくとも急がばまわれ瀬田の長橋」という歌からきている。この歌の意味は大津へ行くのには、琵琶湖の岸の矢馳から出る船に乗らず、湖岸の道を通って瀬田川の橋を渡って陸の道をいったほうが良いという意味である。このように考えると、新しい言葉を取り入れていくのも大切だが、日本独自の四字熟語やことわざなどの言葉も大切にするべきだと言える。
新しい言葉には意味を聞かないとわからない言葉があったりと魅力的であるし、古い言葉にはそこから教訓を得たり、知らなかったことを学ぶことができる。しかし、どちらにも大切なのはその言葉を使って相手に伝わるかということだ。「始めることも大切だが、やり遂げることの方が、もっと大切である。」という名言があるように、古い言葉を使おうが新しい言葉を取り入れようがそれは自由である。ただ、それが伝わらないと何も意味がない。そのため、伝える相手のことも考えて言葉を選ぶことも大切なのである。