他社との比較は
   高1 あえたき(aetaki)  2025年8月1日

 バルカン半島ではまるで宿命かのように流血が繰り返されている。この原因をフロイトはクロアチア人とセルビア人との人種間の違いがあまりにも小さすぎるが故に、その差を想像の中で不気味に増幅させてしまう「微差のナルシズム」が理由だと述べている。その結果として双方は他者との比較においてしか自己確認をすることができなくなった。戦いというのは、明確な差があるよりも両者が似通っているときに頻発する。私たちは、他者との比較で自己を認識すべきではない。

 第一の方法として、他者ではなく過去の自分との比較を習慣づけることだ。他者との比較は大きく自信をなくすことにつながる。中学校の頃ははっきりとした順位ではなかったが、ある程度自分が何位にいるかがわかるような棒グラフが個表に添えられていた。みんな自分は何位だった、あいつは何位だったと個表が返されるたびに喋っていた。私もそのうちの一人で、周囲の人と順位を比べてしまって落ち込むことが多かった。またあの人よりも順位低かったなぁ、〇〇は何点取れているのに自分はこれしか取れなかったなぁなどを心の中で思っていた。やはり、そんなことばかり考えていると他者との競争に燃えるどころか、勉強に対するやる気を失ってある時ガクッと順位が下がったことがあった。そのことをきっかけに流石にこの順位は大変だと思った私は、まず他者との比較をやめて過去の自分とどうだったかを念頭に置くようにした。そうすると以前よりも他者との比較では目がいかなかった、自分の順位が以前よりも上がっていること、点数が上がっていることに目が行くようになってくる。そのおかげで、失っていたやる気を取り戻し、前回よりも順位が上がっているなら、まだ上を目指せそうだなという自信も生まれてくる。他者との比較は自分自身の自信を失うことにつながって、精神衛生上良くない。まずは過去の自分との比較を念頭に置くことは、他者との比較を避けるために大切だろう。

 第二の方法として、学校などの教育の場で子どもの自己肯定感を上げるような教育をしていくことだ。私が小学校に通っていた頃は、運動会の徒競走は必ず順位をつけて、一位は十点、二位は五点、三位は三点、四位は一点のように個人の点数がチームの点数に入るようになっていた。しかし、現在の小中学校では徒競走に順位をつけない、もしくは順位をつけても点数を入れないのような制度が取り入れられているそうだ。確かに、私も小学生の頃は三位などを取ることが多かったので、チームの人に申し訳ないなと思っていた。反対にチームの人も運動会の勝敗に関わることであるから、三位や四位を取ってくる人よりも一位や二位を取ってくる人の方が優遇されただろう。しかし、順位はつけても、点数は入れないという制度ならば周囲の人が、純粋に走っている人を応援でき、走っている人もチームに申し訳なさを感じながら走るということが少なくなる。そのおかげで個人個人が運動会という行事を楽しむことができるし、行事の中で、生徒の間での優劣がついてしまうことも無くなるだろう。こういったが教育現場における自己肯定感を上げるような教育は子どもたちが他者との比較による自己の認識を避けるために大切なことと言える。

 確かに他者との比較による、より客観的な視点も大切である。しかし、「他者との比較のみで自己を確立することは諸刃の剣である」という言葉のように他者との比較ばかりで自己を確立していくと、いつか自分の中で劣等感などの負の感情が生まれ、精神衛生上良くないだろう。私たちは、他者との比較によって自己を認識するべきではないと思う。