最後のピース
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年月日
最後のピース
母は語った。
「推しは尊い、という言葉は令和のことわざではないか。」
その言葉を聞きなぜだか考えてみた。私目線では、自分の憧れる人を見ていると、
「あっ、あんな努力をしている。」
「あっ、こんなことに挑戦している。」
などと自然に思い、見ているうちに真似していたり、それを行動に移していたり自分の成長につながるのではないか、と思った。
私は母に「家族」について聞いたのだが、思いの外「推し」の話が帰ってきた。推しについてのことわざを聞いた後、母になぜ推しに繋がったのかを問うた。すると母はこう語った。
「思春期の娘と過ごすには、もちろん喧嘩したっていいけれど、たまには一緒に盛り上がれるのもあったりしたら、生活が楽しい。もちろん友達とだって推しかつしてもいいけれど、家族で推し活するのも絆が深まっていいんじゃない。」
私は確かに六年になって、今までに流せていた些細なことにも嫌な思いをしてしまったりして、家族と言い争いになる。そんな時に母と向き合うことなどなく、一直線に同じ方向に向かって歩める「時」は、家族にとって必要なのかもしれない。
私の父は六人で住んでいて、父にはお兄さんがいた。父は大人しく、あまり怒られたりはしていなかったそうだが、父のお兄さんはヤンチャな男の子で、毎度毎度怒られていたらしい。主に危ないことをしてとことん叱られていたそうだ。そのことを祖母に聞くと、たくさんの答えが返ってきた。父の家族は、父意外は全員おしゃべりだったらしい。私も生まれてから話すまでの時間が早く、両親には
「どれだけお腹の中で喋りたいことがあったんだろう。」
と、よく言われる。たぶん私のお喋り癖は、父の実家から来ているのだと思う。だがそのお喋り癖はコミュ力などでとても役に立つため、私は色々な意味でこの家に生まれてきて良かった。
私は気になったことがあった。それは、「生きる」ということだ。両親に
「生きるって何?」
と聞いてみると、両親の考える「生きる」ということについて教えてもらった。母は、「呼吸をすること」と答えた。そして父は、「一生懸命、経験すること」と答えた。私はその答えについて考えた。私をたくさん経験させてくれているのは私の両親。両親の子供に対しての役目は、たくさんの経験をさせてあげること。私の考えは、「自分の役目を果たす」ことだと思う。家族三人の考えを合わせると、本来の答えに導かせるのでは無いのだろうか。家族の考えが合わさることで、最後のピースが埋まっていった。
家族とは人間にとって、「気が楽」「落ち着く」「ムカつく」「楽しい」「面白い」など、色々な感情が表に出せて、本来の自分を発揮できる、とてもよい関係性である。家族は分かり合える。「なぜこの時に、この言葉を使ったのだろうか。」「なぜこの時に、このような行動をしたのだろうか。」「なぜこの時に、、、、。」このような答えを導かせてくれるのは、自分の家族だ。分からないことや知りたいことなどの、最後のピースは家族揃って埋められていく。