緊急信号
小6 よしたか(yositaka)
2025年8月1日
緊急信号
ガツン。
「痛い!」
鋭い痛みが頭に走る。
僕は保育園の頃、仮面ライダーの大ファンだった。遊園地の握手会やイベントには欠かさず参加し、テレビ局まで行って、当時の仮面ライダー・エグゼイドと2ショットを撮ったこともある。もちろん、家でも毎日仮面ライダーごっこに夢中だった。特に寝室ではテンションが最高潮に達し、興奮のあまり部屋の中をぐるぐる走り回っていた。そんなある日、本棚の角に思いっきり頭をぶつけてしまった。
ゴツンという衝撃のあと、頭からじわっと血がにじみ出てきた。何が起きたのか分からないまま、ただひたすら泣きわめき、叫び、泣いて泣いて泣いた。今も変わらないが、あのときの痛みは、僕がそれまで生きてきた中で間違いなく最大だった。その夜は痛みと恐怖でなかなか眠れず、子どもながらに「死ぬのかな」とさえ思った。血も、痛みも、なぜ自分にこんなことが起きたのかという理不尽な気持ちも、あの夜は全部、涙に変わっていた。
母もまた、小さい頃に忘れられない痛みの記憶があるという。ある夏の日、虫取りが大好きだった母は、虫取り網を片手に走り回っていた。ふと目に入ったのは、かわいらしい子雀だった。「網で捕まえられるかな」と網をふるったが、うまくいかず、子雀はすっと排水溝の中に逃げ込んでしまった。諦めきれなかった母は、なんとか捕まえようと、排水溝蓋を持ち上げ、手で捕まえようとした。けれど、バランスを崩した拍子に蓋が落ちてきて、母の指を思いっきり挟んでしまった。
あまりの痛さに母は泣きながらそのまま眠ってしまい、翌朝、目を覚ますと指の爪が内出血で真っ青になっていたという。
人生には、突然の痛みが予告もなくやってくる。心の準備ができていないときほど、その衝撃は大きく、時に涙すら追いつかない。けれども、そうした経験はいつしか時間の中で少しずつ癒され、記憶の中に刻まれていく。僕の額の大きな傷も、その証拠だ。子どもだったあの日の僕も母も、痛みに泣いたことは確かだが、その痛みがあるからこそ、今の自分がある。思えば人生とは、痛みと共に成長していく「試行錯誤」の連続なのかもしれない。そしてそれこそが、かけがえのない「成長過程」なのだと、今なら少しだけ思える。
痛みとは成長過程であると同時に、体に何か危険が迫っているという緊急信号何だろうと考えている。