技術、資源からの発想
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これまでの近代産業技術は、つねに技術からの発想だったといえる。それを続けてきた結果、石油やウランなど資源への過度の依存が起こり、石油資源の枯渇は目に見えている。しかし、資源は我々の身の回りにはかなり豊富な資源がある。ないのはそれ活用する資源からの発想である。技術からではなく、資源からの発想に切り替え得るかどうかが鍵となるだろう。私は目的を定めてから、それに必要なものを集めるのではなく、今あるものを生かして新しいものを作り出すような生き方をしていきたい。
そのための方法としては第一に、自分の周りのものに耳を傾けることだ。母によく「今日の夕食で何か食べたいものはある?」と聞かれる。私は絶対に「何でも良い」とは答えない。必ず冷蔵庫の中にある食材を聞く。この前はキャベツ、玉ねぎが残っていると言っていたからポトフをお願いした。他にも牛乳が残っていた時にはグラタンをお願いした。私は料理をすることは少ないが、料理名だけ聞くと材料はだいぶ思い浮かぶ。私も何の料理を食べたいかなんて思い浮かばないこともたくさんある。だからこそ家にある食材で数多くある料理を絞ろうとするのだ。自分の周りのものに耳を傾けると自分では考えもしなかったことが思い浮かぶ時もある。
また、第二の方法としては足りなさを工夫に変えることだ。江戸時代の日本は資源に限りがあり、輸入も少なかったことから、徹底した循環型社会が築かれていた。例えば紙を再利用するために古紙を集めて漉き直す人がいた。たくさん使ってもう着れなくなった古着は最終的に雑巾にしたり、鍋や釜は壊れた時には修理、金属は溶かして再利用した。かまどの灰も肥料や洗剤として利用されていたという。人間の排泄物は肥料として農家に売られていたそうだ。江戸時代はゴミという概念がほとんど無く、修理・再生の職人が町に多くいて、循環が成り立っていたという。この前洗顔用泡だてネットの紐部分が切れてしまい、新しくしてもらおうとしていたら、「ネットの部分はまだ大丈夫なんだったらまだ使えるんじゃない?」と言われた。江戸時代の人々を思い出した私は反省した。足りなさを工夫に変えることは難しいことだと思う。しかし、とても大切なことでもある。
確かに、足りない時は潔く諦めて、必要なものを集めることも必要だ。しかし、「持っているもので、持っている場所で、持っていることをやりなさい。」というローズベルトの名言があるように、今あるものを最大限に活かす生き方も大切である。ローズベルトは重い病にかかったことで足が不自由になった。健康や自由という「当たり前の資源」を失っても新しい欲求を抑えて「今できること」を探し続けた経験がこの名言を生んでいる。