本当はどんな人?
小5 わかば(akahime)
2025年8月2日
同じ名前が付いている花でもよく見ると、一つ一つが人間の顔が違うように、それぞれの表情を持っている。風で折れてぶら下がっているのもあれば、病気か何かでゆがんで咲いているのもある。人間の社会と同じだなあと思ったりする。しかし、私自身、「あいつは、ああいうやつなんだ」とほんのわずかしか知らないうちに決めつけてしまうことが、なんと多いのだろう。
この前、私はYMCAという団体のキャンプへ行った。生活班をまとめる大人の人、つまりリーダーはコアラリーダーという人で、目がたれ目がっていて、口元が優しく微笑んでいたから、優しそうで、ラッキーだと思った。しかし、実際はコアラリーダーは怖く、時間に厳しい人だった。けれど、そのおかげで、遊ぶ時間をつぶすことがなく、予定通りに進んだので、それはそれでよかった。でも、優しいと予想していたので、ギャップがあり、前半は実際よりも怖い人に思えてしまった。しかし、後半はコアラリーダーはこういう人だと知り、その知識で、怖さが収まってきた。人は、見た目で決めつけることが多いように思える。ただウワサから出てくる先入観というのもあるだろう。元担任の有川先生のことが、私は初めは苦手だった。話す声が大きく、どんな人なのかドキドキしていた時に、友達に
「有川先生って、怖いらしいよ。」
と言われた。語尾にらしい、とついている言葉は信用ならない。しかし、なぜかみんな噂を言いたがるものなのだ。それをうのみにしてしまう人もいるというのに。その時の場合、私がその被害者だった。ドキドキしながら、あの先生は怖そうと怪しんでいた時に、あの先生怖い(らしい)などと言われてしまっては、信じるのが普通だろう。意識しないうちに、その考えに絞られてしまうのだ。夏休みの前までは、なるべく有川先生のことを避けていたのだが、授業等も面白く、友達が言っていたことは本当なのか疑り始めていた。夏休み後、そのウワサはデマだったと気が付き、仲良くなった。私と同じ思考の人が何人かいるようで、私が有川先生の親しくなったタイミングでグーンと有川先生が人気になった。今まで避けてみていなかっただけかもしれないが、どちらにしろ、私の心境に変化があったのは確実である。友達に言われたことを気にしていなければ、もっとずっと前に仲良くなれていたかもしれない事実を、私はもったいなかったと悔んでいる。やはりウワサからも先入観、というのは生まれてくるのだ。まるでウワサとは鏡のようだ。すべて反対に移ってしまう。それに、ウワサを聞いた人は本当の相手ではなく鏡に移った相手の方を本物だと勘違いしてしまう。変な思い込みをして、本当の姿が見つけられなくなってしまうのだ。きっとこの状態のことを、先入観、と呼ぶのだろう。そして、先入観とは何と恐ろしいのだろう。
私は見た目で決めつけられたことは少ないが、私の母は幼いころ、背が高かったせいで、実際は違うのに、大人っぽい性格だと決めつけられたそうだ。母が五年生のとき、もう大人と同じくらいの身長だったらしい。だから、私の祖母に何でも自分でできると思われ、明日の支度をしろ、という声かけも、それを手伝おうともしてくれなかったらしい。だから、母は三・四年生のころ、ランドセルに何も入れずに学校へ行ったことが多々あるらしい。外見などで判断されてしまうと、お互いに大変になるだけだ。
決めつけは見た目やウワサなどで起こることが多いけれど、実際は決めつけとは違うことが多い。だから、思い込みをしないで本当の性格を自分で確かめていく必要があると分かった。