みなさんは、まだ字を
   小6 あこまき(akomaki)  2025年8月2日

 兄の本に漫画の書き方のようなものが載っていた。技法説明のためにさまざまな表情の顔が並んでいた。また、人が歩いた後に横にしたマッシュルームの様なものが舞っていた。字が読めないからこそ、想像を絶するほど面白い謎に満ち溢れた物語だったのだ。本には、これという絶対の正解はない。だから、その本の対し方は読者の数だけあるのだ。つまり、本を読むのはそこにあるものをこちらに運ぶ様な機械的な作業ではなく我々の中で何かを作り上げてゆくことだ。最初は読めなくとも歳を重ねると読める様になったりもする。歯が立たなくなって見当違いの解釈をすることも多い。しかし、幼児のようにこの本が読めたらと考えることが読書の楽しみなのだ。

 私の好きな本は二冊ある。一冊は、重松清の『とんび』という本だ。この本はぶっきらぼうな父ヤスとその息子のアキラの不滅の情を描いた物語だ。私が1番感動したシーンは、アキラが東京へ一人暮らしをするときに、ヤスが1人でも大丈夫なように手紙を書いたシーンだ。二冊目は、幸村しゅうの私のカレーを食べてくださいだ。この本は家族のいない成美が昔学校の先生が作ってくれた懐かしのカレーを追い求めていく物語だ。しかし、あるとき麝香猫という成美の働いているカレー屋をしめることになってしまう。理想のカレーを追い求めていく感動ものだ。しかし、どちらも家族や友達の人間関係が良いとは言えない。だから、幼稚園生の頃にこの本を読んでも意味がわからないと思う。

 私は最近、英語をやっている。英語の時に奴隷によるアメリカ南北戦争の話が出てきた。昔はアメリカの南の方で奴隷というものがあった。それを反対する地下鉄道というグループができた。のように続いてゆくお話だった。私は前に学校の道徳でそのお話について読んでいた。そのときに友達と

「そんな世界嫌だね。」

などと話していた。そのおかげで英語の文がすらすらと頭の中に入ってきた。

 アンサリバン先生は、ヘレンケラーという目も耳も聞こえないという少女に色々な単語やものを教えた。アンサリバン先生はヘレンに色々なものを触らせてそのたびに名前を教えていた。例えば、同じ草木を毎日触らせて昨日とはこのような場所が変わったと成長を教えた。また、水とコップの区別がわからなくなったら両方触らせてこれは水だと教えていた。

 祖父は、母に嫌いなものがなくなるようにと赤ちゃんの頃に食べれなそうなものでも食べさせていたそうだ。なぜなら、大人になって食べたものが昔食べたと食べ物に親しんで欲しいからだそうだ。ピーマンやパン、セロリなどだ。そのような祖父の苦労が積もり母は今でも嫌いなものは一つもない。

 読書は我々に新しい世界を見せてくれる素晴らしいものだ。しかし、それには経験がないと筆者や主人公の気持ちが読み取れずにその世界へ入り込めないと思った。

 読書はまるで違う世界はつながるどこでもドアのようなものだ。しかしそれには経験という鍵が必要なのだ。これからもドラえもんに読書というどこでもドアを探してもらい、それを私の鍵で開けてゆきたい。