先入観を持たないで
小5 あえひの(aehino)
2025年8月2日
いくら見慣れた花でも「この花はこういう形をしているのか」などと先入観を持って描き始めると、花にそっぽを向かれてしまうことがある。なぜなら、例えば同じ名前がついている花でも風で折れてぶら下がっているのもあれば、病気で何か歪んで咲いているのもある。日向で勢い良く咲いているのもあるが、根元の方では、雨の日に土の跳ね返りを受けて、薄汚くなったのもある。しかし僕自身、「あの子はいじめっ子で、あの子は怖くて、」とほんの少ししか話していないのに、決めつけることが良くある。だが、人を見る時に、自分のわずかな秤で決めつけてしまうのはおかしいと思っている。その一方で、先入観が絶対に悪いわけではない。理由は、凄くたくさんのタトゥーをしている人がいて、先入観なしで近寄ったら危ない可能性もある。僕は幼い頃、怖そうな人にもグイグイ話しかけに行くので、その度に母は肝を冷やしたと言っていた。ただ経験を重ねて僕は今では怖そうな人がいたら、近寄らないようになった。このことは、僕が考えるに防御本能だ。その他にも先入観の意味はあると思う。
もう一つは経験だ。この作文を読んでいる人にも経験がある人がいると思うが、家のドアが押戸だから、公共のトイレの個室を押して開かなかったり、またその逆で、家のドアが引き戸だから、公共のトイレの個室を引いて開かなかったりすることがあると思う。そのように、家では押戸だから。ここも押戸など経験から決めつけることがあるからだ。もしトイレが押戸しかないと思っていたら、一生トイレに入れないかもしれない。そういう思い込みも、先入観の一つだと思う。
母に聞いたところ、先入観は物事を理解するために備わった一部の機能だから、それを捨てることはできないと思うと母は言っていた。それがあることにより、自分自身の身を守ったり、身体を動かしたりすることができると言っていた。でも、自分が先入観を持っていることに気づき、それをどのように利用しているかを知ることで、良くない先入観を抱いた時は、修正するようにしているそうだ。人にはそれぞれの価値観があるから、先入観に囚われて自分が正しいと思ったことばかりを主張してしまうと、相手の意見に耳を傾けることが不可能になってしまうらしい。人間は分かりあうことで生きていけるから、そういう時は一度相手の思っていることを聞くようにするのが大切だと言っていた。僕は確かにそうだなと思った。僕もこの前山荘学習に行った時の部屋レクの時間に、カードゲームをしていて、友達が僕のことばかり責めてきているように感じた。でもそれは、先入観だったかもしれない。僕から見ると、僕ばかりを責めてきているように感じたけれど、実は相手からするとそんなことはなかったかもしれない。先入観について考えたら、そんなことが分かった。
あじさいにも大きい花びらのもの、小さい花びらのもの、茎が細いものもあれば、太いものもある。花の色も、紫、ピンク、白、赤紫、薄紅色、薄紫などたくさんの種類がある。だから、あじさいはこういう花だからと決めつけるのではなく、絵を描くときには一つ一つ目の前にあるアジサイを観察することが大事だと思った。それと同じで、人間も一人一人が違うから、先入観を持たずに目の前の人をちゃんと見てから判断できるようになりたいと思った。