本が同じでも
   小6 あえほあ(aehoa)  2025年8月2日

 字が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いているのだろう」と思い、もどかしい興奮を覚えたことがありますか、ちょうど開かずの間の戸をみるように。さて、「漫画の描き方」は、本来の目的から言えば、鑑賞のためにあるのではなく、実用のためにあるものです。歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当違いの解釈をすることも多いが、わたしにとってては、それこそが読書の楽しみなのです。

わたしには、好きな歴史の本が家にある。その歴史の本を友だちのAちゃんが私の家に来た時に、

「これおもしろいよ。」

と勧めたが、Aちゃんは

「そうなんだ。」

と全く興味がなさそうに返事をした。おもしろいのにと思いながらその日は、遊んだ。でも、別の日に、今度はAちゃんの家におじゃました。遊んでいる最中にAちゃんが

「このマンガおもしろいよ」

と一つのマンガをすすめてきた。わたしは、ぺらぺらとページをめくりながら見ていたが最初は、あまり好きではなかった。でもだんだん見ていくうちに面白くなってわたしも好きになった。もしAちゃんがこのマンガを紹介しなかったら、わたしは今も知らないまま自分の家にあるマンガ、「鬼滅の刃」をずっと読んでいたのかもしれない。勉強系の本ではAちゃんとは分かり合えないのかもしれないけど、マンガや面白い系の本だったら今までで一番気が合うのかもと思った。今度は、もっと歴史の本をちゃんと紹介しようかなと思った。なぜなら、ただ相手におもしろいよと伝えただけでは紹介する相手に「何が面白いのかな」と思われてしまうから、何が面白いのかを説明してから、「読んでみて」と言うのがいいのかなと今更だがふと思った。

 もう一つ似た話がある。またAちゃんとの話だ。ある日の国語の授業で教科書に書いてある本を読んでその話の感想文みたいなものを書いてくる宿題が出た。わたしは、すぐに書けたがAちゃんは書けておらずアドバイスをするためにAちゃんに

「Aちゃんはこの本を読んでどう思ったの。」と聞いて、Aちゃんの感想を聞いてみたらわたしが思った感想と全然違いおどろいたわたしは自分の感想を言ったら

「あやちゃんはそういう感想だったんだね。」と言われたのを今でもよく覚えている。わたしは、Aちゃんと全く同じ本を読んでいるのに感想が違ったから、他の友だちにも聞いてみたがみんな違った。同じ本を読んでいても目の付け所はみんな違うとしり驚いたがみんな感想が違うので今では、

「みんななんて書いたかな。」

と楽しむようになった。意見が似ている人はたまにいるけどやっぱり意見が違う人は二人くらい、いる。

 読書とは人間にとって読めば考えさせられ

、感動したり、共感することがあり、逆にそれは違うなと思うところは、自分だったらこうするなと思える時間をくれる物だ。