相手の立場になって考える
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 飢饉や飢餓が直接食糧の不足によって引き起こされるのではなく、また暴力的抗争の中で単に出来事の「暴力性」からくるのなら、「社会てきなもの」の働きを探ることができる。被害を受けやすいハンディは極めて社会的かつ文化的なものだ。僕たちは、本当の意味での平等を実現していくべきだ。そのための方法として第一に、慣習や思い込みを考えなおしていくことだ。しかしながら、思い込みや慣習という、人の言動や価値観に深く根付いてしまったものを変えるというのは、決して容易なことではない。なぜなら、人は長年の経験や周囲の影響によって「当然だ」と信じる考えを持つようになり、それが行動の基準となってしまうからである。そうした基準は、無意識のうちに他者への態度や判断に現れるため、本人が差別や不平等を意図していなくても、結果的に誰かを傷つけたり、機会を奪ったりする原因となりうる。僕は、こうした思い込みや慣習を変えるためには、まず自分自身の考えを意識的に点検することが必要だと思う。自分が何を当然だと思っているのか、それは本当に正しいのか、別の立場の人から見たらどう感じるのかを、常に問い直す姿勢が求められる。特に、相手の立場に立って考えることは、机上の議論だけではなく、実際に人と関わる中でこそ身につくものである。僕も、卓球を中学のころやっていたのだが、友達に教えるときにこの感覚に気が付いた。例えばサーブの仕方やルール、ラケットの握り方などはすでに慣れたことで省略して説明してしまっていたのだ。これらの長年経験した結果という少し優位な立場の人ほど、本当に何も知らない初心者に対して自分が同じ初心者だった頃の立場に立って考えるべきなのである。この経験を通して、僕は「自分の中の当たり前」が他者にとっては初めて知ることであるということを痛感した。

 第二の方法として、国際理解を進めるために情報の普及を図ることだ。また、慣習や思い込みを見直す際には、周囲との対話も欠かせない。自分だけで考えると、どうしても視野が狭くなり、既存の枠から抜け出せないことが多い。だからこそ、異なる背景や価値観を持つ人と意見を交換し合うことが重要なのだ。その中で、自分とは異なる意見を尊重しつつ、自分の考えを適切に修正していく柔軟性が求められる。僕は、この柔軟性こそが国際理解を深めるための土台になると考えている。人は多くの場合、自分の文化や常識を「標準」としてとらえてしまう。しかし、その価値観は世界全体から見れば一つの在り方にすぎず、別の文化では全く異なる判断基準や行動様式がある。それを理解するためには、正確で幅広い情報と、それを踏まえた対話が欠かせない。

 例えば、国際移住機関(IOM)の統計では、2022年時点で世界の移民人口は2億8100万人、世界人口の約3.6%に上るという。この数字は、国や文化の垣根を越えて生活する人々の多さを示している。僕の通っている学校はグローバルクラスという帰国子女の人がいるクラスがある。その人たちは、かなり価値観が異なり、積極的に主張をしてほかの人の意見も聞くという人が多い。そのため、あまり発言しなかったり消極的な人は嫌われているのではないかという変な誤解を生んでしまうらしい。こうした経験を経て、僕は国際理解とは単なる知識の共有ではなく、相手の立場に立って考える姿勢の積み重ねだと思うようになった。情報を知るだけでは足りず、その情報をもとに自分の言動を変えることが求められる。誤解や偏見は放置すれば広がってしまうが、正しい情報と真摯な対話があれば、相互理解へとつなげることができる。これからの社会において、情報の普及と対話を通して信頼関係を築き、国境や文化の違いを越えて協力できる関係を広げていくことがますます必要になるのではないか。

 確かに、公的な平等を確保していくことも大切だ。しかし、「平等は法で始まり、心で完成する。」というように、文化的な常識や慣習を考え直し、良い世の中を作っていくべきだ。