必要なもの・無駄なもの
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目あきは、何でも見えるために、眼の前に見えるものは何でも解る。一方で、盲人は眼が見えなくなった代わりに、心の眼を与えられている。それは、耳や身体や鼻などの諸々の器官を「見る」ために動員する。この心の眼を通して暗闇の彼方から現れるものを見ている。生態系にも神話・昔話にも、荒唐無稽でばかばかしく無駄なことが満ちている。自然との調和こそ、人類が生存し続けるために避けることができない原則となった。
快適に生きるためには自分の必要を考えていくことが大切だ。快適に生きるなどの目的にそった行動をしていくことで、なりたい自分に近づけるからだ。私の部活の先輩は、大学受験のために部活を引退し、夏休みが終わった後、スマホなどの娯楽を全て捨てて勉強に舵を切った。大学受験に向けて必要なことだけ取り組み続けた先輩は無事、第一志望の大学に合格することができたそうだ。規模が大きな話をすれば、人々が快適に暮らせるように、山を切り開いて大きな物流センターを開発したり、海に埋め立て地を開発して平で過ごしやすい住宅地や楽しむためのテーマパークを建てたりする。
しかし、一見して無駄なもの、無秩序なものもなくてはならないものであり、大切だ。無駄なものこそ最も人間に響くからだ。日本で育った子どもで桃太郎を知らない子はいないだろう。なぜ日本は今まで桃太郎の物語が語り継がれて、人々に知りわたっているのだろうか。仮に桃太郎という話が鬼という悪に立ち向かう勇気や正義を伝えたいのなら、物語にして伝えず、勇気と正義は大切だという九文字を伝えれば効率的だ。しかしそれでは、何百年も伝え続けられることはできなかっただろう。抽象的な事象よりも具体的な話の方が、人間の記憶に残りやすいからだ。
確かに、自分の必要なものも、無駄なもの自然にあるものも、どちらも大切である。しかしより大切なことは、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言があるように、必要なものと無駄なものを場面に応じて使い分けて人生を豊かにしていくことだ。