経験や知識の深さで変わる読書
   小6 とやちな(toyatina)  2025年8月2日

 みなさんには、まだ字を読めない頃の読書体験がありますか。私にはある。そこに「漫画の描き方」のようなものが載っていた。しかし、字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかった。さて、「漫画の描き方」は、本来の目的から言えば、鑑賞のためにあるのではなく、実用のためにあるものである。しかし、私にとって、それは謎に満ちた物語、であった。つまり、本を読むというのはそこにあるものをこちらに運ぶように機械的な作業ではない。場合によっては、作者の意図をもこえて、我々のうちに何かを作り上げていくことなのだと思う。



最近、注文の多い料理店という本を読んだ。以前も読んだこともあったがその時は、人間が山猫に食べられそうになり、犬が助けてくれるという怖い話としか思っていなかった。しかし、最近読んでみると、作者である宮沢賢治は、人間が自然を支配するのではなく、自然(山猫)が支配(調理)するということ。また、自然(犬)は助けてくれることもあるということ。つまり、自然と共存すべきだと伝えたいということが分かった。このように考えてみるとこの作品には他にも、もっと作者が伝えたいことがあるかもしれない。また、注文の多い料理店に限らず、宮沢賢治の作品には、より多くの伝えたいことがあると思う。



これは、母の体験談だ。母は、小学生の時、偉人である「織田信長」の伝記を読んだらしい。すると、軍事的カリスマ性に感銘を受け、自分の中で戦国武将の中で一番かっこいいヒーローだと思っていた。やがて、中学生になり織田信長のより知りたくなり、関連書籍をたくさん読むようになったらしい。そうして、信長のざんぎゃくな面を知り、気が引くようになっていったらしい。このようなことから、経験や知識が深まると、色々な情報が耳に入ってきて、そのヒト・モノに対しての態度は変わっていくということが分かった。



 読書というのは、人間にとって、経験や知識の深さによって感じ方が変わるものであるということが分かった。大きく言えば、経験や知識の深さを視野広さに例えると、はじめは、大きな山かと思っていたら、視野が広がるとただのジオラマであった、というように経験や知識の深さによって感じ方は変わっていくと思う。だが、経験や知識が深ければ深いほど良いというわけでもない。なぜなら、注文の多い料理店を僕が、怖い話だと思っていたように、感じ方はこれが良くてこっちはダメというのは無い。よって、ジオラマの話に戻るが、近く大きな山だと思うのと、離れて全体的に見えるどちらともが一番だと思う。そうして経験や知識を深め、作者の意図を超えた読書をしていきたい。