自身に自信を
   高1 あかぬり(akanuri)  2025年8月1日

  歴史における断層があまりに強調されすぎると、セルビア対クロアチアの抗争は必然の運命として片付けられることにもなる。だがバルカン地域の問題は、過去が現在を決定するというよりは、現在が過去を操っていることにあると言えよう。かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その差は想像の中で不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。結果として、彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなるはずである。民族共生の平和はなぜ崩れたか、不倶戴天の敵同士ですら、この問いには今もなお、満足には答えられずにいる。

 自分の心に自信を持てるようになるべきだ。

 第一の方法は、しっかり周りを見ながらも、自分の中で見極められるようになることだ。僕と仲が良い友達でM君がいる。誰にでも優しく、気遣いもよいから、みんなから好かれている。だが、本当に優しく、頼みを断れない性格のため、ちょっと困っているときも見られる。そんなことで、僕はちょっと心配していたのだが、最近、その子の本当の優しさにふれて、心配する必要は無いと思ったことがあった。僕のクラスにはT君というちょっと危ない友達がいる(僕ではない)。根は優しい人なのだが、冗談で叩いてきたのが痛いときが結構ある。パワーがすさまじいのだ(力が制御できていないときの悟空のような)。そんな訳で、本人に悪気は無く、手加減はしているつもりでも、やらかすことがよくある。だが最近はある人のおかげでそれが少なくなった。その人とはM君である。T君が冗談で他の友達をしばきそうになったら、すかさずM君が入り、「暴力反対!Tさんいけませんよ!」と叫ぶ。真面目に言うのではなく、バカらしく言うので、T君も軽く押さえられ、友達もしばかれずにすむ。そして、なんとなくだが、雰囲気がよりよくなっている気がする。それからは、M君はみんなに振り回されているようで、本当はしっかり周りを見て動いていたのだなと思うようになった。

 第二の方法は、外側にあるものを頼りにしすぎず、本質を考えられる心を持つことだ。江戸時代後期の農政家、二宮尊徳(二宮金次郎)は、多くの農村を立て直したそうだ。尊徳が大切にしていたのは、至誠、勤労、分度、推譲の四つだ。その中の一つの「分度」では、権力や金の多寡より、地道な対話と行動こそが本質と考えていた。この考え方が、自身の強い心と行動力を生み出していったのだと思った。

 確かに、自分に自信を持ちすぎて、前を見失ってしまうことはよくない。しかし、自信とは、余裕がある状態では無く、一歩踏み出そうとする気力がある状態である。だから、自分の心に自信を持って生きていけるようになるべきだ。