いざ
   中3 あおさみ(aosami)  2025年8月3日

「刺激的」とは、カーヴをたくさんもった本ということになる。読者が予期するようなところへ展開するなら、快感はあっても、刺激はすくない。無理なカーヴを大きなスピードで走り抜けようとすれば脱線するかもしれないが、そこに、新しい道のできるチャンスもある。また脱線するにはスピードを出している必要がある。圧倒されそうな影響をもっているものには不用意に近づかないことである。近づいてもながく付き合いすぎてはいけない。

 私は、「脱線」を恐れず、自分の道を切り開いて生きたい。



 その方法として第一に、「脱線」に慣れ、選択肢を豊富に余裕を持つことだ。

脱線と聞くと、大胆で危険なことのように思うかもしれない。だが、脱線とは同じような日々に発見とときめきを届けてくれる「より道」のようなものである。例えば、いつもは手に取らない分野の本を読んでみたり、一駅早く電車を降りてみたり、今日の出来事や気持ちを絵や言葉で表してみたり。初めて寄り道をするとき、大人に怒られないか不安になるも、繰り返すうちに罪悪感すら感じなくなるように、「脱線」も繰り返すうちに慣れ、意識しなくても脱線が日常の世界を広げてくれるのだ。

また何か計画を立てるときに、プランAしか用意しないのではなく、あえて余白を残すことも大切だ。プランB・Cを完璧に練る必要はない。予期せぬ出来事が起きても対応できるように、心にスペースを開けておく。そうすることで「脱線」がトラブルではなく、「地図になかった小道をゆく」

ということになる。

私の頭の中は脱線ばかりだ。ある話題が出ると関連した事例や考え、思い出などがいくつも浮かぶ。作文を書くときも話題をどこまで深く広げればいいのか悩むことがある。本題の問いに沿いながらも、あふれでる考えを大切にしていきたい。ふと思いつく比喩や実例にこそ「らしさ」があらわれるのだと思う。



 その方法として第二に、個々の力を伸ばすような社会になることだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本の主人公「ぼく」も通うイギリスの中学校では9年生(中学一年生)になると、gcseというテストに向けて科目選択を決定するそうだ。必須科目にプラスして、幅広い分野の科目から約5科目ほど選択する。gcseは就職や進学に大きく影響するテストであり、自分が選択した科目でgcseを受けることができるのだ。ビジネスやシティズンシップ、宗教など日本の大学生が学ぶような内容を中学生から学べる。私の学校は一斉授業が基本で、皆同じ9教科を学習する。副教科は特にテストのために覚えることが多く、あまり魅力を感じない。レールに敷かれた道を皆で歩くのではなく、自分の足で道を切り開いてみたい。自分が興味・関心のあること、仕事にしたいこと、好奇心のまま掘り下げてみたいこと。人はそれぞれ苦手や得意な科目がある。全てをこなそうとするのではなく、絞られた科目を深く専門的に学習することが大切だ。また自分の能力と向き合い、将来の夢や目標について考えるきっかけになると思う。科目を選択するときに新たな分野に出会い、そこから広がる世界もあるはずだ。だからこそ、これからの社会には自分で選び、自分で学ぶ姿勢が必要になると思う。生徒が自ら学び方をカスタマイズできる仕組みがあれば、学ぶ喜びや「生きる力」が育つはずだ。私も家での学習を通して、自分にとって必要で大切だと思うことに時間をかけるようになった。もしこのような学び方のできる社会になれば、それぞれの分野で活躍できる豊かで多様な社会になるだろう。



 確かに、先の見える安定した人生もある。しかし、「理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」という言葉があるように、価値観や臆病さによって生きる道を狭めていることがあるかもしれない。先の見える道を行くことは富士山にモノレールで登るようなものである。本当の人生とは、リュックを背負い自分の足で一歩一歩汗を流しながら頂上へと登ることではないだろうか。霧や寒さと闘い、石につまずき、道行く人に助けてもらう。だんだん変わってゆく植物を見ながら、新鮮な空気を肺いっぱいに息を吸う。遠回りでも自分の足で進む道こそが成長や豊かさをもたらすのだ。頂上へ到達したとき、そこに広がる景色はかけがえのないものになるだろう。